生き埋めになった美しき娘の呪い?松江城近くで盆踊りが行われない理由とは
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の放送もあり、近年は「城」を特集するTV番組などで、城や城跡が取り上げられる機会も増えています。
戦国時代や歴史に興味がない人でも、その城にまつわるドラマや建築物としての美しさに惹かれて見学に訪れる人も多くなったとか。
日本には数多くの城がありますが、その土地ごとに不思議な怪異や謎めいた伝承も残されています。
島根県松江市の松江城近くでは、昔から盆踊りが行われていないとされ、その理由としてある伝説が語り継がれています。
今回は松江城に伝わる、美しき娘の哀しい人柱伝説をご紹介しましょう。
「踊り上手の娘」が石垣工事の人柱に
島根県松江市殿町に築かれた松江城(別名 千鳥城)。
天守が現存している、姫路城・彦根城・犬山城・松本城と共に国宝に指定されていて「国宝5城」と呼ばれています。
さらに城跡は国の史跡に指定され、日本さくら名所100選、都市景観100選にも選ばれている、島根県の主要な観光名所です。
この松江城を築城したのは、織田信長に仕え豊臣秀吉の配下として各地を転戦した戦国武将・堀尾吉晴です。
この吉晴、実は築城にあたって、本丸や天守台の石垣工事にかなり苦戦したと伝わります。
特に苦労したのが、何度も積み直してもあと少しで完成という段階になると、ガラガラと大きな音を立てて崩れてしまう石垣でした。
そこで、工事を進めさせるために「人柱(ひとばしら)」を立てようということになったのです。
人柱とは、神の加護を得たり穢れを払ったりする時などに生きた人間を犠牲にして捧げる、人身供犠・人身御供の一つです。ヨーロッパやオセアニアの一部など世界的にみられた風習ですが、日本では特に築城や橋・堤防の工事で行われたという逸話が多く残っています。
松江城での石垣工事が難航していたとき、ちょうど城下では夏の風物詩である盆踊りが行われる時期でした。
急遽「一番踊りの上手な女子を人柱にしよう」ということになり、踊り上手だった美しき娘が人柱に選ばれたのです。
各地に残る人柱伝説をみても、犠牲になるのは「若く美しい未婚の娘」が多かったようです。
小泉八雲の著書にも登場した「人柱伝説」
この人柱伝説は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と、その妻・小泉セツをモデルにした夫婦の物語を描くNHK連続テレビ小説「ばけばけ」にも登場しました。
ヒロインの松野トキ(髙石あかり)の母親フミ(池脇千鶴)が、寝付けぬ娘のために怪談を話しています。
「これは、かつて松江で暮らしていた、何の罪もない悲しい、悲しい娘のお話でございます。今から三百年ほど前、築城の成功を願い、神々への捧げ物として人柱が立てられることとなった。折しも、盆踊りの季節……(中略)……よし、松江一盆踊りがうまく、美しい娘を連れてまいれ。嫌です。やめてごしなさい。生きたまま、城壁の下に埋められてしまった。何と残酷な、松江の町」
小泉八雲の著書『知られぬ日本の面影』の一章『神々の国の首都』にもこの伝説は登場します。
明治23年(1890)8月30日から翌年の11月15日まで滞在した松江の印象記の中で、人柱にされた娘の伝説に触れています。
意訳 : 城が落成してから、松江の町では女の子は盆踊りをおどってはならぬという禁令を出さなければならなくなった。それは、盆踊りに女の子が踊ると、お城山がかならず揺いで、大きな城が礎から本丸のてっぺんまで揺れるからであった。
人柱の効果だったのかどうかは定かではありませんが、石垣は無事にできあがりました。
けれども、慶長16年(1611年)には築城を進めた吉晴が松江城完成の年に亡くなります。
さらに寛永10年(1633年)、三代目の忠晴も後継がないまま早逝し、堀尾家は断絶しました。
続いて城主となった京極忠高も、3年後に急逝し、京極家による松江支配もわずか一代で終わったのでした。
また伝説によれば、城下で盆踊りが行われるたびに、大地震が起こったかのように天守が大きく揺れ動き、城下にも禍いが起こったといいます。
人々はこれを「人柱になった娘の呪い」と恐れ、娘の魂を弔い、これ以上の禍いを避けるために盆踊りを控えるようになりました。
現在でも松江城近くでは盆踊りは行われていないと伝えられています。
犠牲になった娘か?天守閣にも白装束の女性の幽霊
松江城には、この人柱伝説と重なるように語られる幽霊伝説も残っています。
その後、寛永15年(1638年)に松江へ入ったのが松平直政でした。
直政が赴任後、初めて天守閣の最上階「天狗の間」に登ったときのことです。
目の前に白い死装束姿の女性の幽霊が現れ、「この城はわらわのものじゃ」と告げました。すると直政は、「それならば、このしろを明日にでもくれてやろう」と言い返したといいます。
翌日、直政は「このしろ(城)」ではなく、魚のコノシロ(※)を三宝に乗せて天狗の間に供えさせました。
すると翌朝、三宝だけが残り、コノシロは消えていたと伝わります。
※コノシロ:出世魚で、シンコが成長するとコハダ、ナカズミ、コノシロと名前を変える
「この城」と「コノシロ」を掛けた、とんちのような不思議な逸話です。
この女性の幽霊は、築城の人柱になった踊り手だともいわれていますが、いずれにしてもコノシロを差し出してからは二度と出没することはなくなったそうです。
槍が刺さった頭蓋骨
また人柱以外にも、松江城には築城時の不思議な逸話が残っています。
築城の際、何度積み直しても、夜になると崩れてしまう石垣があったといいます。
そこで堀尾吉晴は霊験あらたかな宮司を呼び寄せ、その原因を調べさせました。一説には、吉晴は風水などの呪術的な事柄にも通じていたと伝えられています。
宮司は、崩れる石垣の根元を掘るように指示しました。すると、槍の穂先が刺さったままの髑髏(ドクロ)が現れたのです。
吉晴が三日三晩の大祈祷を行わせたうえで、これを手厚く葬ると、石垣は崩れなくなり無事に完成したといいます。
その地で無念の死を遂げた侍が、自分の頭上に石垣を築かれることを拒んでいたのでしょうか。
さらに不思議なことに、その穴を掘り下げると、清らかな水がこんこんと湧き出してきたと伝わります。
この井戸は、方言で「つむじ」を意味する「ギリギリ」にちなんで「ギリギリの井戸」と呼ばれるようになったそうです。
質実剛健、歴史的な情緒ある松江城へ
松江城の怪異伝説には、史実と伝承が折り重なりながら、いくつもの形で語り継がれてきました。
現代のような建築技術や安全管理がない時代、築城は多くの人の命を預かる大事業でした。
だからこそ、工事の無事を願う祈祷やまじないが重んじられ、そこに人柱や幽霊の伝説も結びついていったのでしょう。
松江城は「現存12天守」の中でも規模が大きく、天守の広さは第2位、高さは第3位とされています。
派手さよりも、落ち着いた佇まいと質実剛健な美しさが魅力の城です。
こうした不思議な伝説を知ってから訪れれば、石垣や天守の見え方も少し変わるかもしれません。
参考:
史料『調査コラム〜史料調査の現場から』新編 日本の面影 ラフカディオ・ハーン 他
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部