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第15回 【私を映画に連れてって!】史上初!映画とドラマ同時公開の『アナザヘヴン』と、フジテレビにいた立場ながら制作をまかされたテレビ朝日の連ドラ「スカイハイ」。映画とは?ドラマとは?

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第15回 【私を映画に連れてって!】史上初!映画とドラマ同時公開の『アナザヘヴン』と、フジテレビにいた立場ながら制作をまかされたテレビ朝日の連ドラ「スカイハイ」。映画とは?ドラマとは?

1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。
『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。
テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。
この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。

 テレビ局にいながら、ほとんど映画製作中心だったため、連続ドラマをきちんとやったことがなかった。
 まさかフジテレビ以外で、しかもゴールデンタイムで……。
『アナザヘヴン』は飯田譲治氏のベストセラー小説で、文庫本は100万部のミリオンセラーになっていたと記憶している。映画『らせん』(1998)をお願いしたときは、実はこちらには心苦しい点があった。

 元々、フジテレビの2Hドラマ「リング」(1995放送)の脚本は飯田譲治氏だった。その時、僕は2H枠担当のフジテレビ編成部にいた。その直後『スワロウテイル』(1996)の製作のため、フジテレビを出てしまうが、そこでまた『リング』の映画化に出くわす。『女優霊』(1996)を観せてもらったせいで、中田秀夫監督でやることに迷いはなかった。

『リング』のシナリオ制作が遅れたせいで、『らせん』の脚本に着手出来ない。続きものなので『らせん』は『リング』の結末待ちだ。1998年の1月に『リング』『らせん』の公開は決まったものの、3か月前の段階で『らせん』はシナリオも無く、監督も未定だった。誰かのサジェッションのお陰かもしれないが、その追い込まれた段階で、必要なのは鈴木耕司さんの世界観がわかり、かつ『リング』を知っていて、理想的には脚本も1か月以内に書いてくれて、出来れば監督もやってくれる人……飯田譲治監督しかいない! となった。

 結局『らせん』の完成は公開月でギリギリだった。それでも2本の映画は大ヒット、Jホラーという称号ももらった。ただ、そこから『リング』だけが独り歩きすることになる。プロデューサーとしては、よくぞ『らせん』を創り上げてくれたと感謝しているが、『リング』のインパクトがあまりにも強すぎた。

 そこで飯田譲治原作でもあるベストセラーをテレビも交えてやるのはどうかと。実は『リング』『らせん』の続編を角川歴彦さんからも熱望されたが、諸般の事情もあり僕は降りた。その代わり映画『リング2』(1999)のブームアップも兼ねてフジテレビの木曜22時からの枠で連続ドラマ「リング~最終章~」(1999年1~3月/主演:柳葉敏郎/長瀬智也)を放送した。フジテレビが高視聴率の時代で平均19.9%を獲った。

 原作は男主人公だったが、映画では女性をメインに変更した。ドラマ版では原作通り2人の男主人公にした。僕は『リング2』も連続ドラマの方も、成立後は、ほとんど関わらなかった。原作は同じだが、映画版とテレビ版はまったくと言っていいほど関連性を持たなかった。ドラマは視聴率も獲ったことで半年後に「らせん」(1997年7~9月/主演:岸谷五朗)が放送された。

 そんな中で、テレビ朝日から映画+ドラマで「アナザヘヴン」を一緒にやりましょう! との話になり、だったら最初から「映画」と「ドラマ」のドッキングの狙いを決めて行きましょうとの話になった。

▲『アナザヘヴン』は、飯田譲治と梓河人によるホラー小説で、二人の刑事が正体不明の犯人を追うSFホラー作品として映画『アナザヘヴン』、世界観を共有した連続テレビドラマ「アナザヘヴン~ecripse~」、さらにゲームソフト「アナザヘヴン~memory of those days~」と大規模なメディアミックスが展開され、そのスタイルは〝アナザヘヴン・コンプレックス〟と呼ばれた。筆者は、「アナザヘヴン カンパニー」としてプロデュースを務めた。映画は飯田譲治監督・脚本、江口洋介、市川実和子、原田芳雄、柏原崇、松雪泰子、柄本明らの出演により、2000年4月29日に公開された。テレビドラマ版の主役は大沢たかおが務め、映画版のキャストに加え、本上まなみ、室井滋らも出演し映画に先駆けて4月20日にテレビ朝日系で放送が開始された。史上初の映画&テレビ同時公開・放送で、香港や台湾でも同時公開・放送が実施された。映画版・テレビ版共通の主題歌をLUNA SEAが担当した。筆者はフジテレビにいた立場としてテレビ朝日のゴールデンタイムのドラマに名前を出していいものかと、当時のフジテレビの社長に相談したという。筆者は、その後もテレビ朝日のドラマに4本関わることになる。テレビ朝日が民放テレビ局では視聴率が万年4位という時代で、スター俳優は誰もテレビ朝日のドラマには出演しないという頃だった。ドラマ「アナザヘヴン」に大沢たかおと江口洋介が出演してくれることが、どれだけ大変なことかを、筆者は当時のテレビ朝日の編成局長に言われたという。

 当初は、「NIGHT HEAD」(フジテレビ/1992年10~1993年3月/深夜ドラマ/飯田譲治 原作・脚本・演出)のように深夜帯でプロローグ的に連ドラを放送し、劇場映画に繋げる……というアイデアも出たと思う。ただ、進んでいくどこかの段階で「せっかくなら木曜日のゴールデンタイム放送でどうか」の提案。これはテレビ朝日側からだろうか。主演は大沢たかおさんで行くことは決めていたが、ゴールデンタイム予定になってからは映画『アナザヘヴン』の主演の江口洋介さんにも何話か出演してもらい……となって、タイトルは「アナザヘヴン~eclipse~」(2000年4~6月/全11話)とした。

 連続ドラマは4月20日スタート。1話目はキャストのお陰もあって13%の視聴率。当時のテレビ朝日のドラマとしては高視聴率。2話目以降は下降線を辿り、平均視聴率は7%ちょっとだった。深夜企画をいきなり木曜日21時ドラマにするには、ストーリー自体が深夜向き過ぎたと言える。

 映画は4月29日スタート。創っている側の僕の中でも「映画」と「ドラマ」の位置づけが難しく、外伝でもなく、映画の事件とは別の事件を追う形の内容で、ドラマは女性の連続失踪事件が軸になっている。

『リング』の際は、映画『リング2』と同時放送のフジテレビの連ドラ「リング~最終章~」の2本は関連性は薄いものの、映画『リング』がヒットして、世の中に話題が拡散しているときのタイミングである。

『アナザヘヴン』の場合は映像作品は無く、原作はありながら、映像の認知はスタートラインに立つところから始めなくてはならない。

 自分でも『リング』が思わぬヒットになり、映画→連続ドラマ化、あるいは連続ドラマ→映画化では無い、新しい形を欲していたのかもしれない。あとで反省してもしょうがないのだが観客を置き去りにした観客不在の側面もあったように思う。

〝アナザヘヴン・コンプレックス〟と名付け、〝世界初! 映画とドラマが同時公開〟などの記事は踊ることになる。出版物も相次ぎ、コンピューターゲームの発売やサウンドノベルと称したものまで多面展開を試みた。僕も何故か、飯田譲治監督とテレビ朝日の深夜番組のレギュラー出演までやった。

 プロモーションも兼ねて、江口洋介さんや柏原崇さんと一緒に台湾、香港キャンペーンなども行った。製作委員会方式ではなく、松竹の協力を得て「SPC」(特定目的会社/現在ではLLCに近いか)を立ち上げ、すべてのジャッジを一元化する試みも行った。

 日本での興行収入は7億円に届かず、正直パッとしなかった。R15指定になったこともあり、中学生などにはアピール出来なかった。何より、プロデューサーとして策に溺れたと言えるかもしれない。確固たる戦略が必要なところで、きちんと中味を吟味することが出来なかったと言うべきか。『リング』より高揚感を持って臨んだのだが、決めるのは観客である。僕が普段心がけていた「観客目線」を失っていたのだろうと思う。 今でも『アナザヘヴン』が好きな人に会うと嬉しくなる。個人的には、刺激的で、とても面白い時間を過ごさせてもらった作品である。

 ポニーキャニオンからアミューズに移り、しばらくしてテレビ朝日のプロデューサーから連絡があった。2002年の9月頃だが、当時の「金曜ナイトドラマ」(23時15分スタート)の視聴率が悪く、10月から制作費の事情もあり、韓国ドラマ「イヴのすべて」を放送すると言う。目の付け所はとても良いが「冬のソナタ」放送の前年で〝早すぎた韓流ドラマ〟とも称され、視聴率は惨敗。このまま行くと、この枠はドラマ枠からバラエティ番組枠に変更になるかもと。2003年1月ドラマの結果如何……との話があり、現状2~3%の数字を2桁に近づけるような企画を是非! という話に。 

 2003年1月スタートで3月までの放送。企画もキャストも任され、「アナザヘヴン」のこともあったので、視聴率を獲ることを一番に考えてみた。

 連続だが、1話完結もの。連続ドラマのディレクターはあまり知らないので、映画監督で、と決めた。昔、大好きだった「傷だらけの天使」(1974)も深作欣二、神代辰巳、工藤栄一ら錚々たる監督連。「探偵物語」(1979)も村川透、澤田幸弘、長谷部安春監督らでやっていた。

 アミューズに来て最初に製作したのが『Jam Films』で、もう一つが[DUEL PROJECT]として『2LDK』(堤幸彦監督)と『荒神』(北村龍平監督)だった。北村監督の『ヴァーサス』等(2000)が好きで、その頃、時々会っていたが、たまたま彼から映画の企画として「面白いですよ」と渡されたのが2冊の漫画『スカイハイ』(高橋ツトム原作)だった。彼の企画力というかアイデア、発想は溢れんばかりで、会う度にストーリーを面白く語ってくれる。

 1月放送スタートのドラマは遅くとも、12月初旬には撮影を開始しなくてはならない。普段、そんなに漫画は読まないが、この2冊は一気に読んだ。面白くて、中身が深い。テーマも良い。読んだ瞬間に、これで行こう! と。というより、企画をじっくり考える時間は持てなかった。もう10月で、キャスティングも本来であれば遅すぎる。

 その頃、言い方は良くないが、なかなかテレビ朝日のドラマにトップスターが出演してくれることはなかった。しかも深夜帯ドラマ。

 2か月弱の間で、シナリオ制作、スタッフ、キャストを決めなくてはならない。視聴率2%の枠を10%に近づけるのは至難の業である。

 案の定、主演が決まらなかった。アミューズには深津絵里さんらスター俳優が所属していたが、ハードルは高い。

 北村監督とも相談し、監督陣は固まっていく。1・2話目は、映画でもご一緒した中原俊監督、そして麻生学、鶴田法男、篠原哲雄監督の面々。北村監督は映画『あずみ』の撮影と重なっており、難しいと思ったが、ラストの10話目は「自分がやんなきゃ!」ということになった。脚本家も良い人たちが4人参加してくれた。

 脚本も進み、東映大泉撮影所にセットも組み……11月を迎え、いよいよ主演キャストを……と。

▲2003年にテレビ朝日系で放送されたドラマ「スカイハイ」は、高橋ツトムの同名コミックが原作で、すべてはこのコミックとの出合いから始まった。不慮の事故や殺人によって命を落とした者が訪れる「怨みの門」。主人公であるその門の番人であるイズコは、死者の現世の記憶や、残された者たちの様子を見せて、最後に死者に3つの選択を出す。「死を受け入れて天国で再生を待つ」(生)、「死を受け入れず現世で彷徨い続ける」(行)、「現世の人間を1人呪い殺し地獄へ逝く」(逝)。死者を送り出すイズコの決めセリフ「おいきなさい」には、「お生きなさい」「お行きなさい」「お逝きなさい」という、それぞれの意味がこめられている。2022年公開の北村龍平監督の映画『天間荘の三姉妹』も、高橋ツトムのコミック『天間荘の三姉妹 スカイハイ』が原作で、イズコを柴咲コウが演じている。

 テレビドラマであり、ヒロインに求めるヴィジュアルとは……。一つの映画が浮かんだ。ちょっと前に観た『修羅雪姫』(2001/佐藤信介)だ。今は映画『キングダム』シリーズのヒットメーカーの監督だが、当時、1,2度会っていた。主演は釈由美子。僕の印象でもテレビのバラエティ番組のイメージが強かったが、『修羅雪姫』の感じならいける。会ったことはなかったが、すぐにアミューズに来てもらった。会った瞬間「イケル」と。彼女のキャスティングには周りで賛否の声もあったが、自分では納得していた。

 時間との戦いでもあるのだが、テレビ局にいたせいで、ドラマの修羅場はよく見聞きしていた。1話目の撮影時に2話目の脚本が完成していないので、スタッフの準備もままならず、俳優も2話目の自分のキャラクターや存在が読めないことは日常茶飯事だった。撮影当日の朝、シナリオが完成することも。

 そこまでは追い詰められていなかったが、主演が決まらないと始められないことも多い。アミューズに所属していたので、本当はそこから主演が理想、とも考えていたが、毎回のゲスト主演的なキャストにアミューズから多く参加してもらった。音楽はアミューズ勢で、オープニングをポルノグラフィティ、エンディングをWyolicaに創ってもらった。

▲主人公イズコが番人を務める「怨みの門」のセット・デザインには、制作に関わったすべての人たちのこだわりが結集されている。

 

 映画テイストもちょっと意識しながら、東映の大泉撮影所でセットを組み、美術の花谷秀文さんらスタッフが本当にクリエイティブな仕事をしてくれた。

 高橋ツトムさんの原作は内容が深い。死生観に関する哲学書のような漫画だ。『スカイハイ』以外にも『地雷針』『鉄腕ガール』など哲学を漫画にしたような傑作だらけだ。だから映像化は難しいと言える。観念を映像化するようなことで、作り手の技量が問われる。

 ただ、今回は連ドラである。しかも映画なら多くの創作面を監督に委ねるわけだが、連ドラは、プロデューサーの狙いやコンセプトが必要になってくる。なぜなら全話に関わるからだ。監督(ディレクター)は複数なので、プロデューサーが全体の指針役である。

 脚本家が頑張って書いてくれ、何とか2%の前枠から5%にはなるような気がした。ただ、夜11時15分スタートのハンディはある。世帯視聴率は23時を過ぎるとガクンと落ちる。2桁を狙うにはプラスαが必要なのだが、自分はドラマの専門家ではない。

▲テレビドラマ「スカイハイ」で主役のイズコを演じた釈由美子の決めポースも話題になり、流行語らしきムーブメントも見られた。2004年には好評につき「スカイハイ2」も制作された。民放ドラマに出るのであればフジかTBS、よほどの事情があれば日本テレビで、テレビ朝日のドラマに出るのは都落ちと言われていた当時、主役に決まった釈由美子には28人目にして出会った。当時、フジテレビに出演が叶わなかった女優たち、たとえば米倉涼子らがテレビ朝日系のドラマでめざましい活躍を見せ、今やテレビ朝日は、昨年も視聴率三冠王という躍進ぶりである。当時のフジの驕りが現在のフジテレビの低迷ぶりにつながり、それは21世紀になり始まっていたと筆者は述懐する。

 結局、思いつかずに制作発表を迎えた。釈由美子プラス衣装(着物)の出来、見栄えが素晴らしく、スポーツ紙等は取り上げてくれるだろう。それでも10話を通して引き付ける何かが欲しい。

 釈さんは僕にはない霊感があり、見える時があるという。オカルトやホラードラマではないのであまり強調することはなかったのだが、突如、閃いて? しまう。

 その時の行動は自分ではあまり覚えていないのだが、釈さんや北村龍平監督ははっきり覚えていて、今でも言われたりする。

 毎回、ドラマのラスト付近で、主人公イズコが、相手の行き場所の選択によって「お行きなさい」或いは「お逝きなさい」と言う。原作通りだ。ただ、静かに、アクションも無く。目の前の釈さんと話しながら、この衣装でアクションをやるのが面白いのではと。『修羅雪姫』である。珍しく、自分でも演出側の気分になり、釈さんが{見えている}何かに向かって、大きくポーズをとり、指さして「お行きなさい!」と。水戸黄門の印籠の登場するシーンではないが、〝メリハリ〟が欲しいと思った。

 ノリの良いスタッフ、キャスト連だったので、その場で「これで行こう!」とのことになり、全話で「お逝きなさい!」が〆セリフになった。

 これが、うまくはまり、少し流行語のようになり、その後のテレビ朝日の釈由美子さん主演の連続ドラマ「7人の女弁護士」(2006/木曜21時)も、決め台詞が毎回ラスト前に登場。その後の木曜21時ドラマには決め台詞が何故か多くなった気もする。ドラマ自体はスタッフ、キャストがすべてやってくれるので、僕が最も貢献できたのはこのことだろうか。これはテレビ局にいたことの「ウケたい」習性でもあるかもしれない。

 1話目の視聴率は11.5%で予想を超える反響があった。全体を通しても9%台をキープし、パート2のオファーがあった。1年後、「PART2」がスタートする。ただ、僕はほとんど関わらなかった。パート1を超える視聴率、平均9.9%を獲った。

『リング』『らせん』の時の心境に近いのかもしれないが、世の中に最初に発信することに興味、好奇心が強いのだろう。PART1が終わって、釈由美子さんから「これは私の代表作です!」と言ってもらった時に、出演してもらった彼女との巡りあわせに感謝するとともに、僕の役目は終わった気がした。映画にもなったが、それは次のクリエイター達に頑張ってほしい気持ちになった。

 ただ、高橋ツトムさんの傑作コミック『鉄腕ガール』の映画化など幾つかトライしながら、実現できていないのが残念というか、心苦しいところである。だから未だに、映画製作に拘って生きて行けているのかもしれないが。

▲2003年3月1日、ドラマ「スカイハイ」クランクアップを迎え、東映大泉撮影所内での「怨みの門」のセットの前で全員集合。4段目の中央、眼鏡をかけているのが筆者。

かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。

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