何が時代の勝敗を分けたのか──安田登さんと読む『太平記』#1【別冊NHK100分de名著】
『太平記』とは何か──安田登さんによる読み解き #1
なぜ、ある者は勝ち、ある者は敗けたのか──。
博覧強記の能楽師・安田登さんによる『別冊NHK100分de名著 集中講義 太平記』は、これまでの日常と新しい日常が重なり合う「あわい」の時代に、歴史の方程式を学ぶ素材として日本最大の軍記物語『太平記』を読み解きます。
「公」と「武」の「あわい」、鎌倉時代と室町時代の「あわい」に描かれた『太平記』は、私たちにどんなヒントを与えてくれるのでしょうか。
今回は『太平記』への入り口として、その読み解きの一部を抜粋して公開します。(第1回/全5回)
「生きた戦術」を学ぶ教養の書(はじめに)
『太平記』に描かれているのは、北条高時(ほうじょうたかとき)が執権(しっけん)となった鎌倉時代末期から、足利義満(あしかがよしみつ)が幼くして室町幕府第三代将軍となるまでの半世紀あまりの出来事です。その期間は、武家が擁立(ようりつ)した光厳(こうごん)天皇の北朝(ほくちょう)と、幕府からの政権奪還を目指す後醍醐(ごだいご)天皇が開いた南朝(なんちょう)が並び立ち、戦に明け暮れる時代でした。
太平の記──つまり平和の記録と銘打ってはいますが、凄惨な場面も少なくありません。夥しい数の兵が命を落とし、主要な登場人物も次々と討たれ、あるいは自害していきます。混沌として血なまぐさい戦乱の世の現実と人々の無念を通して、太平が兆すまでの長い道程を記録したのが『太平記』なのです。
作者はよくわかっていません。物語僧とも言われている小島法師(こじまほうし)が基本部分を作り、それにたくさんの僧俗の人たちが手を入れて完成したのではないかと言われています。その完成は足利義満の時代と言われ、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)が大成した「能楽」や、『平家物語』のスタンダードとなった「覚一本(かくいちぼん)」という写本の成立ともときを同じくします。
『太平記』の特徴は、数ある軍記物の中でも群を抜く長編で、登場人物の数も厖大なことでしょう。彼らが各地で繰り広げた大小さまざまな合戦の顛末を詳細に記したこの書は、ノンフィクションの史書と位置づけられ、後世の武士たちにとっては「生きた戦術」を学ぶための必読書でした。中国の故事・古典を踏まえた描写も随所に見られ、教養の書としても推重されていたようです。
同じ軍記物語の『平家物語』は、盲僧が琵琶の弾き語りで広め伝えたことが知られますが、『太平記』は「太平記読み」と呼ばれる語り手によって伝えられました。彼らの中には、ただ本文を読み聞かせるだけでなく、主要な章段について独自に解説や論評を加え、補説しながら講釈する人もいました。
そうした講釈の内容は秘伝とされてきましたが、江戸時代には『太平記評判秘伝理尽鈔(ひょうばんひでんりじんしょう)』として編まれ、広く庶民にも読まれるようになりました。『太平記』は明治維新後も多くの人に親しまれ、修身の教科書に必ず載せられましたし、巻十六に見える有名な逸話は「桜井のわかれ」という文部省唱歌にもなっています。
ところが、戦時下に忠君愛国の広告塔として喧伝された反動からか、戦後になると『太平記』はあまり読まれなくなりました。全四十巻と長大なことも、読まれなくなった原因の一つでしょう。
では、なぜそんな書物をいま紹介するのか。それは、『太平記』が「あわいの時代」を見事に描いているからです。
「あわい」に似ている言葉に「間(あいだ)」がありますが、この二つはすこし違います。「あいだ」の語源は「空き処(ど)」で、AとBに挟まれた空間を言うのに対して、「あわい」は「合う」を語源とし、両者の重なる空間を言います。
「魚(うお)の目に水見えず」と言いますが、「あわい」の渦中にいる人には、いま何が起きているのか、はっきりとは見えません。時代が大きく変わろうとする渦中にあって、足元で起きている抜本的な変化に気づくことは難しい。しかし、何かが変化していることには気づいている。だからこそ、私たちは漠とした不安に苛まれ、もがいているのではないでしょうか。
コロナ禍で私たちの日常は大きく変わりました。かつての日常と同じではないけれど、だからと言って、まったく新しい日常にスイッチしたわけでもない。まさに「あわい」の中で揺れています。
たとえば、オンライン会議を積極的に活用し、在宅勤務制度を導入する企業が増えました。多くの人が「リアルとは何か」ということを考え始めました。もともとはSF小説で使われていた「メタバース」という語も一般的になり、バーチャル世界を生きている時間のほうが長いという人も増えてきました。SNS上の書き込みが原因で自死する人がいる一方で、そこで生きる望みを得た人もいる。リアルとバーチャルの対立という概念すらも古くなりつつある現代、フィジカル(物理的・身体的)とデジタルの融合を「新たなリアル」として組み直す時期に来ています。
しかし、時代はそのように動いているのに、まだ満員電車に乗って通勤している自分がいる。職場や学校では人間関係の苦しみが厳然とある。
そんな「あわい」の中に、世界中の人々が生きているのです。
「あわい」を生きるとはどういうことか、私たちは何をなすべきか─。そうしたことを考えるうえで、『太平記』は大きなヒントを与えてくれる書物です。「公」と「武」の「あわい」、鎌倉時代と室町時代の「あわい」を活写した『太平記』が、足利義満の時代に成立したということは、「あわいの時代」が過ぎ去った後に、未来から振り返って反省し、そこに教訓を見いだそうとしているわけで、私たちが『太平記』から学ぶことは多くあると思います。
本書『別冊 NHK100分de名著 集中講義 太平記』では、
第1講 『太平記』が描く「あわい」とは
第2講 時代に乗れる人、乗れない人
第3講 現世を動かすエネルギー
第4講 太平の世はいかに訪れるのか
補講 『太平記評判秘伝理尽鈔』を読む
という講義を通して、歴史を振り返ると見えてくる「波乱の時代で勝つための方程式」を、傑物たちの生きざまを分析しながら読み解きます。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 太平記 「歴史の方程式」を学べ』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『太平記』の引用(原文・現代語訳)は、水府明徳会彰考館蔵天正本を底本とする『新編日本古典文学全集』所収「太平記」(校注・訳=長谷川端、小学館)に拠ります。また、『太平記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(編=武田友宏、角川ソフィア文庫)も参照しました。
著者
安田 登(やすだ・のぼる)
能楽師。1956年、千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。おもな著書に『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『すごい論語』(ミシマ社)、『学びのきほん 役に立つ古典』『学びのきほん 使える儒教』『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語』(NHK出版)、『見えないものを探す旅 旅と能と古典』『魔法のほね』(亜紀書房)、『野の古典』(紀伊國屋書店)など多数。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。