没後45年!12月8日の夜に聴きたい、ジョン・レノンという人物を知るための5曲
1980年12月8日にジョン・レノンがニューヨークで非業の死を遂げてから、45年が経つという。「♪僕があなたを知った時は ブルース・リーと同じように この世にあなたはいませんでしたね」と歌ったのは、真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」(1996年)。1960年代後半に生まれた真心の2人ですらそうだったのだから、生きているうちにビートルズやジョンの音楽に触れることができたとても幸せな人たちは、リアルタイマーの高齢者層か、運良く若くして出会えたおじさま、おばさましかいないのではないか。
没後にジョンの存在を知った人には、どうしても “志半ばで凶弾に倒れた悲劇の人物” というイメージがつきまとう。だいたい、暗殺ってなんだ? 暗殺っていうのは、国の偉い人とか、悪い人とかがされるやつじゃないのか? ジョンがいったい何をしたっていうんだ? あまりにも理不尽じゃないか? と、例年この日に激しく憤り悲しむビートルズファンの私が、今年の12月8日の夜に聴きたい5曲…… ジョン・レノンという人物を知るための5曲をご紹介する。
ジョン・レノンは、時に邪悪である
ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?)/ 1971年
ジョン・レノンの代表作であるアルバム『イマジン』(1971年)は、その清らかなイメージの反面、中身はけっこうドロドロした曲が多い。中でもポール・マッカートニーへの憎悪を剥き出しにした「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?)」はジョンの邪悪な面をこれでもかと詰め込んだ楽曲で “君が唯一よくやったのは「イエスタデイ」それも今は昔の話、アナザー・デイってわけさ” と、具体的で容赦がない。
実はそれ以前からジョンとポールはお互いの作品を通じてバチバチとやり合っていて、その “わかる人にはわかる歌詞” の解釈がマニアの間で興味深い考察の対象になっている。…にしてもだ。あまりにも底意地が悪い。レコーディングを見ていたリンゴは “やりすぎだ” と言い、その一方で演奏に参加していたジョージはこれ以上ないほど見事なスライドギターを弾いた。後年、ジョンはこの曲について “これは自分自身のことを歌ったんだ” とさすがに反省気味に振り返っていたが、解散直後のビートルズのギスギスしたムードをこれほど伝えてくれる曲もない。
ジョン・レノンは、時に過激である
女は世界の奴隷か!/ 1972年
ジョンがアクティビストとしての主張をこれでもかと詰め込んだアルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年)の冒頭を飾る曲。邦題の「女は世界の奴隷か!」には “奴隷か?” と少し疑問を呈するニュアンスが含まれているが、原題通りに考えれば “黒人奴隷だ!” と言い切っている。
社会における女性の地位の低さや、男性によるうわべだけの女性崇拝をストレートに歌い上げた傑作… なのだが、そのタイトルが問題となってもちろん大炎上。そして放送禁止に。シングル曲でありながら、ジョンの生前にリリースされた唯一のベストアルバム『シェイヴド・フィッシュ〜ジョン・レノンの軌跡』(1975年)を除いて一度もコンピレーションに収録されたことがない。
さらに先日リリースされた、『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』関連の未発表音源を満載した12枚組CD『パワー・トゥ・ザ・ピープル』では、その時期でもっとも重要であるはずのこの曲だけが収録されず、波紋を呼び、今もって社会問題の根深さを思い知らされてくれた。これは私見だが、歌も演奏もこの曲のジョンがもっとも輝いていると思う。一世一代の名演、キャリアの集大成をここに全振りする潔さもまたジョンの魅力だ。
ジョン・レノンは、友だちのレコーディングでハメを外す
グッドナイト・ウィーン(with リンゴ・スター)/ 1974年
ジョン・レノンは1年半ほどオノ・ヨーコと別居していた時期がある。のちにジョンはそれを “失われた週末” と呼び、酒と薬に溺れた散々な日々であったかのように思われているが、もちろんそんなことはない。盟友であるリンゴ・スターをはじめ、ハリー・ニルソン、キース・ムーン(ザ・フーのドラマー)らと飲み歩いての放蕩三昧でいくつもの “やらかし伝説" を作りつつも、独り身の身軽さでジョンの音楽活動はさらに自由度を増していた。
特にキース・ムーン唯一のソロアルバム『トゥー・サイズ・オブ・ザ・ムーン』(1975年)、ニルソンの『プシー・キャッツ』(1974年)、リンゴの『グッドナイト・ウィーン』(1974年)はすべてジョン・レノンがプロデュースに関与。同時期のジョンの作品と共に “兄弟アルバム” として楽しめる作品になっている。
ジョンがリンゴに提供した「グッドナイト・ウィーン」では演奏にも参加。ジョンのカウントとピアノから始まるご機嫌な楽曲だ。笑ってしまうのは、ハメを外しまくった自分の生活を歌いこんだ楽曲を、自分の歌で発表せずリンゴに歌わせているところ。当時の彼らのバカ騒ぎぶりがありありと想像できる。
ジョン・レノンは、やさしいおじさんになりたかった男である
グロー・オールド・ウィズ・ミー / 1984年
ジョンの没後にリリースされた最初の未発表作品アルバム『ミルク・アンド・ハニー』(1984年)に収録されたデモ音源。ヨーコと復縁したジョンは、5年間、一切の活動を休止して子育てに集中した “ハウス・ハズバンド時代” に入る。その間に書き溜めていた楽曲にはこれまでのジョンの作品にはなかったやさしさと生活感がにじみ、来るべき1980年代と、自身の40代の生活に明るい未来を夢見ていた。
この曲は “教会で結婚するカップルのために演奏されるように” と書かれた作品で、もし正式なレコーディングが行われていれば、「イマジン」「ハッピー・クリスマス」に次ぐスタンダードナンバーになることも十分に想定できる内容だ。「女は世界の奴隷か!」で現実社会のひどさを直視し、「グロー・オールド・ウィズ・ミー」で男女が手を取り合う理想を語る。この振れ幅の大きさもなんともジョンらしい。
ちなみにリンゴは2019年にこの曲をカヴァーし、ベースとコーラスでポールも参加して花を添えた。『ザ・ビートルズ・アンソロジー』でもビートルズとしての新曲の候補に挙がっていたが、録音に着手したかどうかも含めて状況は不明。これが「ナウ・アンド・ゼン」に続く新曲になるかどうかは、神のみぞ知る。
ジョン・レノンは、最高のロックンローラーである
アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア(with エルトン・ジョン)/ 1974年
ジョン・レノン生前最後のライブパフォーマンスは、なんとビートルズの、それもポールが作った楽曲であった。ジョン・レノンがエルトン・ジョンと一緒にレコーディングした「真夜中を突っ走れ」(1974年)が “もし1位になったらエルトンのコンサートで一緒に歌う” と約束していたジョンは、1974年の11月28日、感謝祭の日に合わせてマジソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトンのコンサートにサプライズ出演。すっかりライブ活動から離れていたジョンは少し緊張しつつも、親友の曲をワイルドに歌い切った。
この曲を歌うことになったのはエルトンからの提案だったそうだが、この時のMCが、また泣かせるのである。“僕の古い、疎遠になっているフィアンセ、ポールという男の曲をやろうと思うんだ。これは僕が一度も歌ったことのない、古いビートルズの曲でね。かろうじて覚えているよ”。奇跡を絵に描いたような瞬間ではないか。ジョンのロックンローラーとしての原点をぜひ再確認してほしい。
ジョン・レノンは、想像力のたくましい男である
おまけ:ヌートピア国際賛歌 / 1973年
アルバム『マインド・ゲームス』(1973年)のA面ラストには「ヌートピア国際賛歌」という楽曲が収録されている。当時、ジョンとヨーコが開いた記者会見によると、領土も国境も法律もなく、国民になることを望む人々によってのみ構成される概念上の国家、それが “ヌートピア” だそうだ。
アルバムに収録されたその国の国歌は、6秒間の無音。この6秒の間、聴き手はヌートピアンとなり、自由に、それぞれのヌートピアを想像することができる。“想像してごらん” と「イマジン」で歌ったように、無音の楽曲を発表し、すべてを聴き手に委ねたのだ。12月8日の夜に我々が「ヌートピア国際賛歌」を思い浮かべるとき、そこに流れるのはいったいどんなメロディであろうか。黙祷。