平山祐介「後悔するのが嫌だなと思った」サラリーマンからモデルに転身した過去
今月のゲストは、俳優の平山祐介さん。
平山さんと要潤は先月まで放送していたドラマ「花咲舞は黙ってない」のほか
映画「キングダム」シリーズなどでも共演しており、
初共演の作品は2009年のドラマ「RESCUE~特別高度救助隊」です!
近藤 :初めての共演って覚えてらっしゃいますか?
平山 :もちろん僕は覚えてますけど、たぶん要さん覚えてないと思います...
要 :覚えてますよ!!(笑)「RESCUE」あれ結構しんどかったドラマ上位に入りますよ!
平山 :僕はそうですね~、肉体的にっていうより、精神的にしんどかったですかね。
要 :やっぱり教官だったから。
近藤 :要さんの第一印象はいかがでした?
平山 :涼しげなシュッとした目元に...でも目の奥で何を考えているのかわからない。なかなか内面を見せてくれない、ちょっとミステリアスな印象がありましたね。
要 :人見知りが出ちゃうときがあるのでね(笑)
24歳。サラリーマンを辞め、モデルへ転身
元々、モデルとして活躍していた平山さん。国内でモデル事務所に所属しながらも、その多くは海外でのお仕事でした!
平山 :大学生の時にもモデルの仕事を少ししていて、でも1年に1回2回ぐらいの仕事しかなくて。大学4年の時にモデルを続けるか就職するか迷った時、事務所の人から「あなたは無理だから就職しなさいって」言われたんです。
要 :え!そんな時代が…!?
平山 :大学行ったのにもったいないからって。親の反対もあったので就職しました。
一度は就職した平山さんですが、悶々と「やっぱりモデルをやってみたい…」と考えていたそう。2年間サラリーマンを続けながら迷い考え、モデルになることを決意。
やるからには、モデルのトップ、パリコレに挑戦しなければ意味がない!と考え24歳の時に単身パリへ向かうことに!
平山 :サラリーマンの仕事も楽しかったんです。
要 :職場の雰囲気も良かった?
平山 :先輩とかも楽しかったので、ちょっと迷いました。それでも、いつか「あの時モデルやってればな~」みたいに後悔するのが嫌だなと思ったので。それで全てをかなぐり捨てて辞めて始めましたね。
初めてのファッションショー、ゴルチエからスカウト…!?
退職し、モデル事務所に戻った平山さん。初めてのファッションショーは、国内の洋服メーカーの新人デザイナーコンテストのようなものでした。
そのファッションショーには毎年、審査員としてフランスのファッションデザイナー、ジャン=ポール・ゴルチエさんが来ていたそう。
平山 :僕、ゴルチエがすごい好きだったもんですから、初めてのショーなのに、ゴルチエしか見てなかったんです(笑)
要 :あははは(笑)
平山 :終わった後にアフターパーティみたいなのがあって、そこでゴルチエが僕のとこに来て「君はパリに行かないのか?」と声をかけられて。
要 :えぇ!?スカウト的なことですか??
平山 :そんな感じでしたね!で、僕は通訳を介して行こうと思ってると伝えたら、ならこの事務所に入ったらいいよってパリで一番のモデル事務所を紹介されて。僕もうめちゃくちゃ盛り上がって。
要 :それはもうパリに行きますよ!
平山 :僕のことなんて当時モデル業界でも誰も知らなかったんだけど、そのショーで「ユウスケってやつがゴルチエにスカウトされたらしいよ」ってことだけがすごい独り歩きしちゃって(笑)でも僕はもう行ける気だったので、その数か月後には住所調べて一人でパリまで行って。事務所についたら、言葉はよくわからないけど、入れてくれるっぽいなと。
要 : ・近藤 :ええ!?すごい!
平山 :その事務所って当時アジア人が一度も所属したことなくて。割とアジアに寛容なところから行け!といわれていて、周りにも難しいよ!と言われていたんですけど。僕はもう一番素晴らしいとされる事務所から回ろうと思っていたので。すごくうれしかったですね。
ゴルチエの言葉を受けて単身パリへ向かった平山さん。ある日ゴルチエのオーディションがあるということで、意気揚々と向かったそう。ゴルチエのショーは独特で「出たい」という人はだれでも参加できるということ、会場いっぱいに参加者が集まっていました。
平山 :本当に様々な人たちがいて、でも僕はもうゴルチエと約束してるもんね~と思ってたから、割と余裕で構えたんです(笑)
要 :お前が来いって言ったから来たんだと(笑)
平山・近藤 :(笑)
近藤 :呼ばれてる側ですもんね!(笑)
平山 :それで僕の番がきて、ゴルチエも僕の事みて「あぁ~」とか言ってくれて。ゴルチエがテーブルの上に並んでいるフルーツを「なんか食べてく?」と。で僕はじゃあ苺をって食べて、それで「ありがとう」と言われて、終わったんです。
要 :え??
平山 :なんとなく僕オーディション見てると、感触がよさそうな人はジャケット羽織って、歩いて、ポラロイドを撮るまで行ったらだいぶ決まる確立高いんですけど。僕は苺食べてありがとうだけだったので、「あぁ~これもう僕で決まってるんだな~」と思って(笑)
要 :もう決め打ちだと!(笑)
平山 :それで帰って、でもどれだけ待ってもゴルチエから連絡来なくて。なんとなくで「あー、これダメだったんだな」と。やべえこれどうしようって。
要 :唯一のコネクションだったわけですもんね!
平山 :だし、日本じゃみんなが「裕介ゴルチエ出るらしいよ」と思っていて、それを背負っているから(笑)でもその時に他のオーディションも受けていて、運良く他で仕事が決まったので。ゴルチエさんダメでしたけど、まあまあ良かったなという感じでモデル業が始まりましたね(笑)
移動費・滞在費・食費がすべて自腹…!?
24歳でパリへ渡ってから8年間。平山さんはミラノ・パリ・ニューヨーク・東京・ロンドンを回りながら、海外を拠点にモデル活動を続けていました。
一見素敵に見えますが、移動費・滞在費・食費などすべてが自腹とのこと。
オーディションに受かって、初めてお金をもらえるそうで「ほとんど90%くらいのモデルが赤字なのではないか」とおっしゃっていました。
近藤 :1日どれぐらいオーディション回ってたんですか?
平山 :1日10件くらいですかね。
要 :1日10件!?10件て相当ですよね??
平山 :パリの真ん中から、ちょっと外れてる時もあったりするので。なので、どういう順番でどう回ろうと、当時スマホもないんで、地図に印をつけていって。あと、やっぱり集中する時間と、どうでもいい時間とかもあるじゃないですか。
要 :そうですね、
平山 :だからどうしても出たいところは始まって1時間ぐらいで会えるように調整してみたりとか。でもあまり遅くになると、8時から17時までやっていても人が決まったからってお昼で終わってることもあって。
要 :売り切れ!みたいな!
平山 :そうそう!そんな感じで。
近藤 :わあ~自由な国、ならではですね...
平山 :だからモデルって、そういうのも全部ひっくるめて、市内を這いずり回って仕事を決めるので。かっこいいところは、もうショーの一瞬の時間だけですね。フラッシュを浴びている、本当に一瞬だけです。