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3日間行方不明!150キロ先で補導。「親なきあと」を考え施設入所を検討し始めた、重度自閉症の兄の脱走事件

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3日間行方不明!150キロ先で補導。「親なきあと」を考え施設入所を検討し始めた、重度自閉症の兄の脱走事件

監修:三木崇弘

フリーランス児童精神科医/スクールカウンセラー

多動が強い兄は、お目当てのものに一直線!小さいころはなんとかつかまえられたけど…

重度の自閉症と知的障害がある兄の周りで起こったことを、きょうだい児目線で振り返っています。
一緒に暮らしていたとき、特に大変だったのは、突発的に起こる「脱走」で、これには家族含め、親戚も長い間向き合ってきた問題でした。

兄が初めて脱走したのは3歳のときだったようです。普段から手をしっかり繋いでいても、「気になるもの」を見つけると、小さな子とは思えない力で手を払ってお目当ての場所まで一直線に走り出してしまっていたのだそうです。

今は亡き私たちの母には生まれつき股関節が脱臼しやすい病気があり、歩行は可能ですが走らないように昔から医師に指導されていました。なかなか思うように走れない状態で多動の強い兄を追いかけるのは本当に大変だったようでした。それでも兄が小さいころはなんとか大丈夫だったのですが、成長するにつれ走るスピードがどんどん速くなっていき、母方の親戚を総動員して探すこともありましたし、ときには警察にお世話になることもありました。

母は兄の脱走を減らす目的で、毎日2~3時間ほど散歩の時間をつくっていたそうです。兄が歩いたり走ったりしている後ろで、自力で走れない母は原動機付自転車でついていきます。「満足するまで走らせたほうが、帰宅してから寝てくれるし、突然いなくなることが減るんだよ」と私に話していました。

兄が18歳を迎えたある日の夕方、自宅から突然いなくなり…

時は過ぎ、兄が18歳を迎えたある日の夕方、事件が起きます。

兄が一人で自宅を抜け出してしまいました。どうやら、家の内側から取りつけていた脱走防止用の鍵が施錠されていなかったようで、それに気づいた兄が外へ出てしまったようです。母が気づいたころには時すでに遅く、近所を探しても一向に見つかりませんでした。親戚(母のきょうだい)に電話し警察に捜索願を出しました。

この日兄は家に帰ってくることはありませんでした。当時は日本でインターネットサービスが導入されていない時代でしたし、街頭に防犯カメラはありませんし、携帯電話も一般的ではありませんでした。わが家には兄のほかにも姉や私がいるため、母が頻繁に探しに行くことは難しく、個人でできることはかなり限られます。ただただ見つかることを祈って警察からの連絡を待っていました。

次の日になりました。母は不安を口には出さずいつも通りに過ごしていましたが、きっと同じような気持ちだっただろうと思います。

■1日経ち、2日経ち…3日目の深夜に警察から電話が

もしかすると誰かに連れて行かれたのではないか?飲まず食わずでどこかで倒れているのではないか?

はたまた…最悪な想像が脳裏に浮かびます。

そしてついに3日目の深夜1時ごろ、自宅に警察からの電話が。

一一兄は無事でした。

私はそのとき寝ていたので朝になって兄が帰ってきていることに気がついたのですが、あとになって詳細を知りました。

重度心身障害のある兄は、3日間も何をしていた?

脱走した日、兄は自宅の最寄り駅が目に飛び込むと、そのまま改札に入る人の後ろにくっついて、電車に乗り込んでしまったようです。もしかしたら移動中、居合わせた人に声をかけられたりしたのかもしれません。ですが、兄は知らない人から声をかけられると走って逃げてしまう特性があります。普段から散歩で鍛えられていたため、走るのが速く、追いかけて捕まえることは難しいだろうと容易に想像がつきます。

そして電車の乗り降りを繰り返し繰り返し…ついに自宅のある大阪府の南部から、150kmも離れた滋賀県の湖東地方(琵琶湖の近く)でようやく補導されたようでした。どこで寝泊まりをしていたのかまでは結局分かりませんでしたし、いろいろな人に迷惑をかけてしまいましたが、見つかった現場は琵琶湖が近いこともあり…とにかく無事だったという事実だけでも幸いです。

母はさっそく一緒に対応してくれた叔母(母の妹)に「無事に見つかった」と電話をし、そのあと仕事から帰って眠っていた父を起こし、叔母の運転する車で滋賀県の警察署に向かいました。こうしてようやく丸3日ぶりに兄と再会することができました。父と母は警察署の職員さんに、「命の危険があるのだから」と、お灸をすえられたようでした。

同行した叔母は、帰りの道中で「二度とあってはならないことだ」と、兄を含め父と母三人に対して強く叱ったと後日聞きました。

知的障害のある兄の命を守ることの大変さ

ある程度の知能がある人なら「やっていいこと、いけないこと」の判断がつきますし、「お母さんが心配するから一人で外に出てはいけない」と考えて踏みとどまることはできるでしょう。しかし、体は18歳でも重度の知的障害のある兄には今回、そういった判断はできませんでした。

目に入った情報から、突発的に行動してしまうことがあるので、それを40代の、足に持病がある母が完全に制御することはやはり難しいです。ただ、18歳の兄には、「家族が近くにいるときは一人で出ていかない」という自分なりのルールのようなものが存在していたため、ある程度は日常生活をおくる上で歯止めはかかっていたのだろうと思います。また「信号が赤のときは渡ってはいけない」「踏切が下りているときは渡ってはいけない」ことは理解していたため、18年間命を落とすことなく無事だったのだろうと思います。

三日間もの脱走のあと、父と母の意思は変化したような気がします。このころから「親なきあと」の兄の人生のために、兄が障害者支援施設へ入居することを本格的に検討するようになりました。

障害者支援施設に入居して20年経った現在までに、一度施設から抜け出したことがあると聞きました。施設は山手に位置するため、一本道が多い地域なので、比較的早い段階で見つけることができるのだそうです。仮に外へ出たとしても、「○○ホームの人だ」とご近所の方も把握できるだろうとも思えます。

兄は現在40代後半なので、18歳のエネルギーあふれる当時とは違って体力の衰えを感じているようで、ここ数年間落ち着いているようです。

そして、私はこうして過去の思い出を振り返っていますが、現在兄が無事に年を重ねられているのは、兄をサポートしてくださっている周囲の方々のお陰だと心から思いますし、感謝してもしきれません。

執筆/スガカズ

(監修:三木先生より)
ご自身の病気も抱えられてお母様は本当に大変でしたね。周りの方たちや警察からは厳しく言われたとのことでしたが…24時間ずっと気を抜けないまま生活している中で、ごく稀にこういったトラブルが起きてしまうことは責められないと私は思ってしまいます。
ともあれ、お兄さんは年齢と共に落ち着かれて、現在もお元気なようで良かったです。

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