【静岡の高校サッカー戦後史Vol.46】伝説の“平3総体”清水東が東海大一との県勢対決を制して全国制覇
【清水東高⑰】地元総体 県勢対決制す
※2011年3月〜11月に「静岡の高校サッカー 戦後の球跡」のタイトルで静岡新聞に掲載した連載を再掲しています。年齢等も掲載当時のままです。
清水東と清水商が出場した1990年(平成2年)度の全国選手権(91年正月開催)。ともに序盤で姿を消し、幻に終わった県勢決勝対決だったが、7カ月後に夢が実現する。91年8月の全国総体の舞台で―。
91年度の高校生による真夏のスポーツの祭典は、本県で開催された。地元の期待を担ったのは、清水東と東海大一(現・東海大翔洋)。開催地のため参加枠が一つ増え、県予選1、2位の両校が出場権を得た。
「スターはいないが、穴はない」
「スターはいないが、穴はない」。こう監督の膳亀信行(現・静岡高教)が評した清水東は、初戦の2回戦で境(茨城)に4-0、3回戦は田辺(和歌山)に7-0と大勝して8強入り。準々決勝も帝京(東京)を4-1で下した。
準決勝は市船橋(千葉)に後半のロスタイムに追い付かれた。だが、延長後半、斉藤賢二(税理士)―田島宏晃(元J清水など)とつないで決勝点を挙げ、2-1で競り勝った。
もう一つの代表校、東海大一も激戦ブロックを勝ち上がって決勝に進出。晴れ舞台での県勢V対決が実現した。
東海大一との死闘、延長後半に田島が決勝点
地元勢決戦に沸く中、東海大一に先手を許したが前半終了間際、「実は酸欠状態だったが、体が反応した」斉藤賢の一撃で追い付き、1-1のままもつれ込んだ延長後半8分、FKからの好機を田島が逃さず、決勝点をたたき出した。
4回目の総体制覇に「チームが一つになっていた」と、主将を務めた斉藤俊秀(藤枝MYFC監督)。5得点と気を吐いた斉藤賢は「地元開催なので、いつものようにプレーできた」と、20年前の夏を思い起こす。
西沢明訓、山西尊裕が1年生だった92年度
1年後の92年度。清水東は宮崎県開催の総体で再び全国のピッチを踏み、奈良育英(奈良)、七里ケ浜(神奈川)、仙台育英(宮城)を倒してベスト4に勝ち進んだ。
徳島市立と対戦した準決勝は、主力のけがに苦しみながらも、西沢明訓(元J・C大阪など)山西尊裕(J磐田スタッフ)らの1年生の踏ん張りもあって、互角に渡り合った。しかし、1-1の延長の末、PK負けを喫した。決勝進出は逃したものの、けが人続出の中での4強入りは「後につながる」と評価された。
ところが、この宮崎総体を最後に、全国の舞台から遠ざかっている。膳亀に続き、梅田和男(現・静岡東高教)、現在は高橋良郎と、ともにOBが指揮を執り、再起の道を歩んでいる。 (敬称略)
【1991年度全国総体決勝先発メンバー表】
GK 池田慎
DF 望月亮太
古川徹
斉藤俊秀
中村宏
MF 松田庸宏
望月直孝
青山剛
FW 田島宏晃
斉藤賢二
五十嵐裕一
<次回からは「静岡工」です>