サブマリンの輝き「地元で」 中川颯(はやて)選手(横浜泉リトルシニア出身)〈横浜市泉区〉
夢だったベイスターズ入団
中学硬式野球チーム「横浜泉リトルシニア」出身の中川颯投手(25歳)がこのほど、横浜DeNAベイスターズに入団した。「サブマリン」とも呼ばれるアンダースローの右腕は今春から思い入れのある横浜スタジアムを本拠地とし、新たに活躍を誓う。
昨年11月に行われた入団会見では「ベイスターズは幼い時からの夢でもあった。声をかけてもらい、心の底からうれしかった」と笑顔を見せ、「チームが前回日本一になった1998年は自分の生まれ年。力を発揮してチームの日本一に貢献したい」と力を込めた。
中川投手は泉シニアから桐光学園高に進むと1年からベンチ入り。東京六大学野球の立教大学でも1年時から登板するなど注目を集めた。20年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから4位指名を受けてプロ入りし、1年目から1軍登板も果たした。
オリックスで戦力外に
だが2年目以降は右肩の故障もあり、思うような投球ができない日々が続いた。育成契約となり、支配下登録を目指して今季はウエスタン・リーグで21試合に登板し、防御率1・38と復調の兆しを見せたが、戦力外通告を受けた。
そんな失意の時にすぐさま声をかけたのがベイスターズだった。チーム統括本部の萩原龍大本部長は「うちにいない変則型の投手で、先発もリリーフもいける。もし出されることがあればすぐ獲得しようという準備はしていた」と明かす。
中川投手は子どもの頃から横浜スタジアムにも足を運び、「プレゼントされる三浦大輔投手(当時)のグローブが欲しくて」とはにかんだ。
ハマスタのマウンドは高校時代から馴染みがあり、「自分にとって投げやすいマウンドのひとつ。スタジアムの雰囲気も良い」と話す。
「ケガなく力投を」
中学時代の中川投手を知る横浜泉リトルシニアの神崎博監督は「一度も叱ったことはない。頭のいい子」とし、「小柄だったけど、毎年10cmずつ身長が伸びていった。当時からアンダースローだったけど、ショートもうまかった」と評する。
関係性は今も続いており、「けがもあって落ち込んでいた時期もあった。地元ということもあるし、環境は合ってるんじゃないかな」という。
ベイスターズで打撃コーチを務める田代富雄さんは神崎監督の藤沢商業高時代の先輩といい、「なにかと縁があるのかも。中川には親心として、ケガなくがんばってほしい」と話した。