ここ数年、ボクが死んだ後のことが気になる~「くも膜下出血」発症は人生の最大の転機~
義母のお願い
毎年9月が来て、発病からの年を重ねていく。
前々回書いたように、自分の人生を振り返ってみると53歳の時に起きてしまった「くも膜下出血」発症は人生の最大の転機であった。
今思えば、53歳か。若かったのだなあ。家族が「療養型施設に入れるにはちょっと若すぎる」って思ったのもわかるような気がする。この秋のドラマの「ゆりあ先生の赤い糸」では、田中哲司扮する旦那さんの意識が戻らず、自宅で菅野美穂さん扮するゆりあが自宅で介護を決心するというドラマが始まった。身につまされる内容だ。
第一話しかまだ見ていないが、同性の恋人がいたり、もしかしたら隠し子がいるかもしれないという第一話。寝たきりである旦那さんを介護するために、ヘルパーさんを1日何回か入れましょうというソーシャルワーカーの提案に対して同居のお母さんが「嫌だわ、そんなに人が家に来るなんて」と言っていて、「おお、超リアル。」そう思ってしまった。
「家でお兄ちゃんを、息子を見てあげたい」「施設なんていやだ」と思うお母さんや妹など、身内の気持ち。でも、自分は実際はなんの手助けもできないけど……。結局奥さんが一人で面倒を見なければならなく、さらにお母さんが病気になったりで介護の手が足りなくなる。あるある中のありである。
リアルなボクの家だって、今も具合が悪くなった同居の父は入院中だ。ボクを介護してくれているキーパーソンの妻は、入院中の義父のキーパーソンでもあり絶対不可欠の人物。
ちょっとだけ具合の戻ってきた義父からは、「iPhoneの充電コード、もうちょっと長いの買ってきてくれないか」「髪が伸びてきたからどうしよう」そんなLINEが入ってくる。
「元気になってきた証拠だね」と妻は笑っていたが、そんな些細なことの積み重ねで手一杯になる。
さらに義母は「おじいちゃん(義父)がいない間に妹のところにお見舞いに行きたい。あなたの暇な時でいいから」なんて妻にリクエストをしている。
妻に暇な時があるか分からないが、車で2時間ぐらいかかる妹のところにお見舞いに行って一目でも会いたい、おじいさんが入院していて自分に自由な時間があるうちに、ということらしい。そんな義母もめっきり弱ってきた。久々に妻が家にいる日曜の朝ごはんの食卓でそんな話を横で聞いていた。
「んーー、今日なら行けるけど。おじいちゃんの面会もできない日だし。」義父の転院した大学病院の分院は珍しいシステムで土日に面会できない。
「あれ?今日はゆっくりしようねって言ってたんじゃなかったっけ?原稿の締め切りも数本あるって聞いてたような…。」と心の中でボク。
あと何回会えるかわからない
「2ヶ月先まで考えても、今日しかない。」妻がそう言うと早速義母は妹に電話する。嬉しそうに電話する義母を見たら「そうだよなあ、連れて行ってあげたいよなあ」と思った。
数年前まで銀座で待ち合わせて食事をしたり、どちらかの家に電車で行くこともあったが、今はお互いもうできない。妹宅も妹の連れ合いが入院したり、介護が必要になったりで娘が同居を決めたそうだ。妻の従兄弟にあたる娘の決断である。
往復4時間、滞在時間が1時間だとしても5時間かかるわけだから、ボクのお手伝いとしては「一緒に車に乗っていく」ってことになる。日曜日は妻がいることを前提に日中のヘルパーさんはお願いしていないのだ。5時間以上ボクを一人にしては置けないっていうことらしい。もちろんそのぐらいボクはいいけど、妻にとっては大仕事だ。
ぱぱっとボクの着替えや用意を済ませて、もしも隙があれば原稿書こうと言って原稿用紙も積み込む。そんな暇はないだろうけど。
「車椅子のパパはお相手の家にお邪魔できないかもしれないから、近くのマックかなんかで二人で待ってるかもしれないじゃない?」そうだけど……。まあそんな準備をして出かけたものの、結局は夕飯までいただき帰ってくることになるのだけど。
そのあとは予定していた20時半からのオンラインミーティングが終わり、22時過ぎてから昼にやるはずのボクの仕事を二人でやる。終わらなかったので、今、朝起きてからやっている最中だ。今日は義父の病院までリハビリを見学に行く。今後の方針を決めるそうだ。
「そんなの忙しいから行けないよ」それで済んでしまう話だと思うが、妻は「しょうがないなあ」と腰を上げる。「ゆっくりしよう」と言っていた妻は「撮り溜めた今期のドラマの一話を見るぐらいだから別にいい」と言う。そうだ。撮り溜めたって見る暇だってない。布団に入ったらバタっと気絶するように寝てしまう。
でも行ってみればボクにだってわかる。義母とその妹にとっては、とても大切な時間だってことが。「いつまた会えるかねえ、今度は泊まりにきて」妹が手を握って言っている。
あと何回会えるかなあ。広島にいるボクの妹も言っていた。毎回これが最後かもなあって思っちゃうんだよねって。広島と東京のように離れていたらなかなか会えない。義母たちもそう思っているかもしれないなあ。
妻には休めるときに休んでもらう
人間っていうものはあまり辛い記憶を残さないと聞いたことがあったが、確かにそうなのかもしれない。昔書いたものを読むと、家族が一生懸命やってくれていることや、子供二人がどんなことに苦労しているんじゃないかとか、当時の一番心に残っていることが綴られていることが多く、今のボクの記憶の成り立ちがよくわかる。
周りの知人が家族を助けてくれたり、この人が親身になってくれたんだと、時には意外なことに驚いたり。やっぱりその人々に足を向けては寝れない。
12年経った今でも声をかけ続けてくれている知人もいる。何が嬉しいってやっぱり「私はここにいるからね」って声をかけ続けていてくれることだ。そんなことができる人って滅多にいるものではない。
自分の生活だって色々あって大変なんだ。だから折に触れてメールや電話をくれる。そんなに何かがあるわけではないが、近くにいてくれるんだなという、かけがえのない友人が数人いる。
他にもたくさんの人たちに支えられ、妻にもそのような知人がいて、その方々たちにも支えられてここまでやってきた。
今までは無我夢中で、病気のボクがいかに生きていくかということを家族も周りも一生懸命サポートしてきてくれた。
でも、最近ボクのは心配事が一つ増えた。残される家族のことだ。妻のことだ。
妻の日常のほんの一部を前半にご紹介したが、妻はボクが倒れるまでは専業主婦だった。夫がボクだったからいろいろと大変だっただろうけど、それの20倍は大変になったはずだ。
倒れた直後に資金面などの計画は息子がやってくれて助かったと聞いているが、大きく広げた風呂敷を畳むのも大変だっただろう。のほほんと生きていくのとは程遠い生活になった。
それでも働いてくれたり、ボクの仕事を手伝ってくれたりして、なんとか生活できるようになった。金銭面も心配ではあるが、それよりも彼女自身が心配だったりする。それは最近、ぎっくり腰に頻繁になったり、大病になったり、風邪が長引いたりとめっきり体が良くないことが増えてきたからだ。
「元気元気」「私怪力だから大丈夫」なんて横で笑い飛ばしていた彼女だが、「調子が悪い」と訴えることがしばしば続いた。なのに用事を平気で増やす。
だからそんな状態の今でも、彼女は病に臥せっているというイメージはない。
「パパ、今日腰が全くダメで力が入んない。だからパパ自分で頑張って起きてくれなきゃ、私支えられないからね」そう言ってベッドから車椅子に移乗させようとする。
「何?食事?ベッドのままでいいよ」と言うが、「いや、起きてくれた方がわたしが楽」と言う。「帰りは(車椅子からベッドへ)リハビリの人が来たらやってもらうから、パパ頑張ってよ」よいしょ。
ボクは自力で立てないが、妻がやってくれるのは他の誰がやるよりも一番余分な力もいらない。スルッと移乗ができる。そりゃそうだ、誰よりも多く移乗させてもらってるんだからベテラン中のベテランだ。
本当に腰が曲がったまま、まっすぐになれない状態だった妻も、首の後ろに手を回し、膝を抱えた状態のようにボクを丸めたまま90度方向転換させたら、ボクの足をベッドの下におろし、彼女の首に手を回させて10秒ほど地面に足をつかせて車椅子へ。
「パパありがとう、力いらなかったわ」
妻とボクがお互いの力を借りて移乗をしている時間は10秒ぐらいかな。車椅子に乗せてしまったらその車椅子を押して行くので、ぎっくり腰には助かるアイテムとのこと。
食卓について二人で朝ごはんを食べる。確かにベッドで寝ていたら変な角度でご飯を食べるのを手伝ってもらうので、大変だったかもしれない。だけどねえ、それが「大変じゃない」と言えるんだろうか?ぎっくり腰になっても彼女しか介護する人がいないわけだから、彼女的には「だったらどうするの?」という状態かもしれない。
いつも来てくれているヘルパーさんがいつも入っていない日曜の午前中に「明子さん大変ですよね、入りましょうか?」って聞いてくれたぐらい。側から見ても大変に見えるんだろう。その助かる提案をお願いして、いつもより手厚いサービスを入れてもらって明子を少しでも楽にしてもらうしかない。明子が行うボクのシャワーはなし。休める仕事は休む。そのぐらいしか日常が楽になることがない。情けない話。
こんなに心配してても本人は結構あっけらかんとしているので、実際どれぐらいしんどいのかがわからない。「本当に大変だったら誰かにお願いするから大丈夫」そう言う。
今後の心配ごと
それと、「大丈夫だよ、アッコちゃんは」と友人に笑い飛ばされたが、もしもボクがいなくなったら一人でどう生きていくんだろうか?なんて心配する。
ボクの尊敬する先輩の話だけれど、自分の余命を知りつつ「お葬式はこんなのがいいな」とか「これはお小遣いになるから一生持っていたほうがいいよ」なんて資産運用のヒントを残したり、さりげなく話をしていたそうだ。男の中の男だと思った。こんな書き方をしたら今時怒られるのかな。でも、先輩は残される奥さんを心配してただろうなあと端々から感じる。最近まで、ボクの頭の中にはまだそんなことを考える余裕もなかった。
些細なことだが、例えば明子の誕生日は、正月はどうする?一人で過ごすことがあるんじゃないだろうか。
「コータリが亡くなったら亡くなったで、お友達なんかと楽しくやっていくだろうから大丈夫だよ。」そう言われた。確かにそんなことを心配するような性格でもない。自由に楽しく生きていくんだろうなあとは思う。
でもここ数年、ボクが死んだ後のことが気になる。こんな体のボクを看病する妻を不憫に思いとっとと天命を全うしたいと考えることが多かったが、最近体が悪くなった妻を見ていると、ボクなんかでも近くにいたほうが心強いんじゃないか?と思うこともある。
相談にもろくに乗ってあげられず、電球も変えてあげられない。パソコンの調子が悪いって言っても見てもあげられず(元気な頃に助かったと言われていた案件)、ほとんど何もできないのだけれど、心配してる人間がいるよってことだけで。
どうかなあ。明子はなんて言うだろう。余計なお世話かもしれない。こんなことをここに書いていたら怒られるかもしれない。でも書けるうちに書いておこうと思った。
先日、息子と娘には遺言を残した。財産はないのだけどボクにとって一番大切だと思っていること伝えた。二人も了承してくれた。妻のことだ。
一つ肩の荷が降りた気持ちだ。
妻のお世話にならなければ生きていけない今だけど、いろいろ考えていかなくてはいけない年なんだろうなあ。