74年前、「さっぽろ雪まつり」は、”雪捨て場”から始まった?
2月4日(日)から開幕の、札幌の冬の一大イベント、今年で74回目となる「雪まつり」
第1回から今回の開催に至るまで、誕生のきっかけや知られざる歴史をご紹介します。
雪まつりの知られざる歴史を振り返る
第1回(1950年)
第1回目は今から74年前の1950年に開催。
コチラは「ヒグマ」、市民の雪捨て場だった大通7丁目広場に市内の3つの高校と2つの中学校の生徒らにより6基の雪像が制作されました。
開催期間は1日のみ。
この頃は今の大雪像と違い「7メートル」の高さ制限を設けていました。
「雪まつり」といえば大雪像ですが、初めからあったわけではありません。 初めて登場したのは第4回。
第4回(1953年)~大雪像が初登場!
高さ15mの大雪像「昇天」
観客はその大きさに度肝を抜かれたと言います。
雪の塊を石材のように積み上げるため、大量の雪が必要となり、今では当たり前のトラックとブルドーザーを初めて動員しました。
こうして少しずつ「雪まつり」のスケールが拡大。
第9回(1958年)~熱気あふれるお祭りに!
HBCにも66年前に撮影された最古の映像がありました。
当時の雪像は「自由の女神」や「裸婦像」などが制作。
祭りの熱気は当時も負けていないようです。
第10回(1959年)~来場者55万人を突破!
翌年の第10回からは道内だけではなく、全国に向けてテレビや新聞などが雪まつりを伝えました。
この年、第1回雪まつりの来場者の5万人から11倍の55万人を記録!
第11回(1960年)~知名度がうなぎ上り!
第11回はさらに70万人と知名度はうなぎ上りとなりました。
第16回(1965年)~「体感型」の展示へ
1965年の第16回には、真駒内が第2会場に正式指定され、家族連れを中心に雪に触れ遊ぶ会場へと体感型の展示方法が加わりました。
第23回(1972年)~札幌オリンピック開催年
第23回雪まつりのHBC広場では、オリンピックの選手団を歓迎しようと高さ17mの「ようこそガリバー」の雪像が登場。
手元に注目すると、札幌オリンピックのマークが確認できます。
第25回(1974年)~オイルショックと共に
1974年、第25回の「モナリザと凱旋門」
この雪像には秘密が隠されています。
その秘密は何だと思いますか…?
実は「ドラム缶」を中に埋め、かさ増しをしているのです。
この頃はオイルショックで原油価格が高騰、世界中で経済の混乱が起きました。
雪を運ぶトラックの燃料代を削減するために雪の代わりにドラム缶でかさを増したのです。
第30回(1979年)~岡本太郎さんが参加!
第30回目の雪まつりには、日本を代表する芸術家 岡本太郎さんが雪像づくりに参加!
西9丁目広場に高さ12mの「雪の女神」制作しました。
雪まつり開催後、「壊されるのはさみしい」との事でしたが、快諾。
「みんなが子供の心にかえって騒げる雪まつりはすばらしい。世界のまつりだ」と語ったそうです。
第34回(1983年)~すすきのも会場に!
第34回には、すすきのまつりが正式に雪まつり第三会場となり、氷像主体の会場が誕生。
第57回(2006年)~第二会場が「さとらんど」に!
第57回には第二会場を真駒内から、さとらんどに変更。
第60回(2009年)~第二会場が「つどーむ」に!
また、第60回目には第二会場を「さとらんど」から「つどーむ」に変更。
チューブに乗って滑走する高さ8m長さ80mの滑り台には、当時2時間待ちの行列が出来たそうです。
第64回(2013年)~プロジェクションマッピングが登場!
第64回の2013年からは一気に雪まつりが進化!
展示方法に革命が起きました。
豊平館の雪像をスクリーンにプロジェクションマッピングを初めて実施。
観客が想定以上に集まったため、安全面を考慮し、この演出が会期途中で中止になってしまいました。
第71回・第72回(2021年・2022年)~オンライン形式の開催!
2021年と2022年には、新型コロナウイルス感染拡大の状況を踏まえ、オンライン形式による無観客開催。
オンラインならではのコンテンツを実施しました。
第74回(2024年)~今年はどうなる?
第74回目の今年は、2月4日(日)~11日(日・祝)までの8日間、3つの会場で開催します。
・大通会場(西1丁目から西11丁目)
・つどーむ会場(4年ぶりの開催)
・すすきの会場(南4条通~南6条通までの駅前通)
世界に誇る事ができる「さっぽろ雪まつり」
一年で一番寒いこの時期だからこそ楽しめるイベント、体験してみてはいかがでしょうか?
※掲載の内容は番組放送時(2024年2月2日)の情報に基づきます。