【能登から伝えたいこと】新しい能登がつくられていく過程も見にきてほしい~『珠洲ホースパーク』より~
2024年1月1日、正月の北陸地方を突如襲った能登半島地震。特に能登半島ではその被害が大きく、住宅の傾斜、液状化など、町もそこにある暮らしも、以前と同じではなくなった。能登にはもちろん、いまもそこに住む人たちがいる。能登を少しずつ動かし続ける人たちがいる。彼らのメッセージを受け取って、能登のいまを知ってほしい。『旅の手帖』2024年6月号からお送りします。
能登のいまを伝える人:足袋抜 豪(たびぬき ごう)
石川県珠洲(すず)市出身。2012年に帰郷し、ダイビングのインストラクターをしながら、環境負荷の少ない農業を開始。農業法人化して担い手の育成も行う。宿泊施設『木ノ浦ビレッジ』や『珠洲ホースパーク』、炭焼き、人材派遣など、珠洲でさまざまな事業に携わる。
『珠洲ホースパーク』
www.minnano-uma.com
新しい能登がつくられていく その過程も見にきてほしい
能登半島の先端、珠洲市で宿泊施設の運営ほか多彩な事業に関わっている足袋抜豪さん。
一見、脈絡がないように見えるそれぞれの事業も、すべてはふるさと珠洲を元気にしたいという思いで続けてきた。
2023年8月には、JRAの元調教師・角居勝彦氏らと、引退後の競走馬がセカンドライフを過ごす『珠洲ホースパーク』をつくった。
2024年春に、牧場の規模を大きくしようと予定していた矢先、その厩舎で地震に遭った。
「立っていられないほどの揺れのなか、無我夢中で馬たちを馬場へと誘導し、揺れが収まってあたりを見回したら、風景が一変していました……」
1カ月ほど経ち、ヘリコプターから能登を見る機会があり、見慣れた地形が激変してしまったことを痛感し、悲しみが込み上げてきたという。
「復興していくなかで、新しい能登がつくられていく、その過程も見にきていただくのが一番ありがたいです。
文化や食という旅に必要な要素はもちろん残っていくし、もしかしたらすごくアップデートされるかもしれません。
能登のシンボル・見附島(みつけじま)は大きく形が変わってしまいましたが、そこから自然の強さ、すごさも感じてもらいたいなと思います。
迷惑がかかるから行ってはいけないと思わず、もう少し落ち着いたら、ぜひ来てください。
馬たちに癒やされに、ここへ来るのもおすすめです。
殺処分を免れた子たちが頑張っている姿からは希望をもらったり、刺激を受けたりするはずです。
私たちは水道がここまで長期間止まるということは想像していませんでした。
いまはまずオフグリッド、つまり外部のインフラに頼らないで済み、宿泊もできる観光牧場にしていこうと考えています」。
震災で得た教訓を生かしつつ、足袋抜さんは珠洲のために前進を続けている。
取材・文=若井 憲 写真=足袋抜 豪