来生たかおの色褪せないスタンダード!薬師丸ひろ子や中森明菜への提供曲は知ってる?
来生たかおデビュー50周年
1976年10月1日にシングル「浅い夢」でデビューしてから、50周年を迎えたシンガーソングライターの来生たかお。今年から来年にかけて展開されるアニバーサリー・コンサートツアーもスタート。その幕開けとなった11月26日の東京・NHKホールでの公演では満員の観客が来生のソフィスティケートされたメロディーと甘い歌声に酔いしれた。そして同日には5枚組のベストCD『Takao Kisugi Complete Single Collection ~Kitty Years~』がリリースとなった。
来生は歌手デビュー以前にも、アンドレ・カンドレ時代から親交があった井上陽水のファーストアルバム『断絶』にアコースティックギターで参加していた。作曲家としても、1974年3月にリリースされた亀渕友香のアルバム『Touch Me, Yuka』収録の「酔いどれ天使のポルカ」で、作詞した姉の来生えつこと共に作家デビューを果たす。キティレコードでインスペクターの業務に就きながら持ち込んだデモテープがディレクターの多賀英典に採用されたもので、それから2年後となる歌手デビューを示唆したのも多賀であった。
ファーストアルバム「浅い夢」で満を持しての船出
デビューシングル「浅い夢」と同月にリリースされた同名のファーストアルバムにはアレンジャーやスタジオミュージシャンとして、元ザ・モップスの星勝をはじめ、高中正義、高橋幸宏、小原礼、今井裕、後藤次利らサディスティック・ミカ・バンドのメンバーが参加するという、満を持しての船出であった。翌1977年にしばたはつみへ提供されてヒットした「マイ・ラグジュアリー・ナイト」が作曲家としての出世作となる。作詞した姉とともに一躍脚光を浴び、楽曲提供の依頼が次々と舞い込むようになった。
弟がピアノで弾いた曲をテープに録音し、姉がそれに歌詞を付けるというスタイル。提供するアーティストが増えてゆくのと並行して来生自身もコンスタントに楽曲を発表し、1980年4月には初の全国ツアーを開催するに至る。知名度を一段と高めたのは、1981年にドラマ主題歌に起用された10枚目のシングル「Goodbye Day」である。加山雄三主演のドラマ『愛のホットライン』(フジテレビ系)の主題歌となり、有線から火が着いてスマッシュヒットとなったのだった。
大ヒットを記録した「夢の途中」
歌手としても作曲家としてもさらに来生の名を高めたのは、なんといっても同年にリリースされた「夢の途中」だろう。角川映画『セーラー服と機関銃』の主題歌となった薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」の異名同曲。競作盤として同じキティレコードからリリースされて共に大ヒットを記録した。1981年11月、来生盤のほうが11日早い先行リリースだった。そしてこれをきっかけにアイドルを始めとする楽曲提供の機会が俄然増えてゆくことになる。1982年には中森明菜のデビュー曲「スローモーション」を手がけ、3枚目のシングル「セカンド・ラブ」で1983年の第3回『日本作曲大賞』グランプリに輝いた。
自身のアルバムでも初のセルフプロデュース作となった1981年の『Sparkle』や、過去の映画作品を題材にした1984年の『ROMANTIC CINEMATIC』といった傑作が連なるが、今回の記念リリースはシングル曲にスポットが当てられ、キティレコードにおける全シングル32作品のAB面64曲がコンプリート収録された。キティ以降のシングル作品4曲もボーナスCDとして収められ、解説付きの80ページにも及ぶブックレットが内包されたスペシャルな5枚組CDとなっている。「マイ・ラグジュアリー・ナイト」「シルエット・ロマンス」「セカンド・ラブ」といったセルフカバー作品を聴くことができるのも嬉しい。
自身の音楽の基本はノスタルジーであると語る来生。時代が目まぐるしく移ろう中、不変のスタイルで曲を作り歌い続けてきた。都会的で哀愁を帯びた作品群は、殊に1970年代から1980年代の音楽シーン、さらに以降のジャパニーズポップスをも確実に支えている。いつまでも色褪せないスタンダードナンバーの数々。 “来生メロディー” は普遍性に満ち溢れている。