古代中国の謎民族「毛民」、仙人となった「毛女」……毛にまつわる不思議な伝承
毛は、私たちの体を守る大切な仕組みのひとつだ。
たとえば鼻毛は埃や菌の侵入を防ぎ、腋毛も皮膚の摩擦や汗の拡散に関わっていると考えられている。
だが、神話や伝承の世界では、そんな毛が恐ろしい怪物へと姿を変えることがある。
人を守るはずの毛が、逆に人の前に立ちはだかる異形の存在となるのだ。
今回は、そんな「毛」を巡って語り継がれてきた不思議な存在たちを紹介していく。
1. 毛民
毛民(もうみん)は、古代中国に伝わる民族である。
古代中国の地理書『山海経』では、さまざまな妖怪や異民族が挿絵付きで紹介されている。
同書には「海外東経」という、東南~東北に存在したとされる異国についての解説項目があり、そこで語られている「毛民国」に住む民族こそが、この毛民である。
彼らはその名が示す通り、体中が毛だらけの奇妙な者たちであるという。
東北の海の外側について記した「大荒北経」という項目においても、毛民国は登場する。
こちらの毛民は名字が皆「依」であり、キビを主食とする民族であるという。
かつて中国には禹という、黄河の治水を行った偉大なる王がいたと伝えられている。
禹の子供は均国といい、孫は役采、曾孫は修鞈という名であった。
このうちの曾孫の修鞈だが、ある時、綽人という人物を殺してしまったという。
それを知った禹は大いに悲しみ、綽人の子孫が心豊かに暮らせるよう国を作った。
その国こそが、毛民国なのだと語られている。
2. 毛羽毛現
毛羽毛現(けうけげん)は日本の怪異である。
妖怪画家の鳥山石燕(1712~1788年)の画集『今昔百鬼拾遺』に、その姿が描かれている。
石燕の解説によると、この妖怪は全身が毛にまみれており、その姿はまるで中国に伝わる「毛女」のようだと説かれている。
この毛女とは、古代中国の仙人辞典『列仙伝』に記載されている、超常的な人物のことを指す。
毛女はかつて、秦の始皇帝(紀元前259~紀元前210年)に仕える宮女だった。
始皇帝が死去したのちに秦が滅亡すると、毛女は山の中に逃げ隠れ、松の葉を食べて飢えをしのいだとされる。
やがて彼女は全身が毛に覆われた異形と化したが、強大な神通力を身につけ、自在に空を飛び回る仙人になったという。
松の葉の先端は鋭利に尖っており、一見食用に向かないと思われがちだが、その栄養価は高く、古来より中国では煎じて茶として用いられてきた。
滋養強壮・血流改善・老化の防止などの健康効果があり、毛女以外にも様々な仙人が、こぞって松の葉を常食していたとのことである。
ちなみに、毛羽毛現は「希有希現」と書かれることもあり、これはこの妖怪が、滅多にその姿を現さないことに由来するとされている。
3. 髪切虫
カミキリムシという昆虫は、その名の通り「噛み切る」ことに特化した大顎を有し、噛まれると大変痛い。
その幼虫は「テッポウムシ」と呼ばれ、木に寄生し枯らす害虫ではあるが、味は大変美味とされ、昆虫食を嗜む者たちからはご馳走扱いされている。
それとは別に、髪切虫(かみきりむし)という妖怪伝承があるのをご存知だろうか。
江戸時代の日本では、人間の髪がいつの間にか切られるという怪事件が、たびたび発生していたと伝えられている。
その下手人として想像されたのが、この髪切虫である。
俳人の山岡元隣(1631~1672年)の著作『宝蔵』によれば、寛永14~15年(1637~8年)に髪切虫の噂が立ったが、その姿を見た者は誰一人としていなかったという。
しかし、実害がないにもかかわらず人々はこの虫を恐れ、自分の髪が無事かどうか異常に気にしていたとのことだ。
また、学者の喜多村信節(1783~1856年)が著した『嬉遊笑覧』においても、寛永14年に髪切虫の噂話が流行し、人々は恐怖に慄いていたと記されている。
4. キムナイヌ
キムナイヌとは、北海道や樺太のアイヌ民族に伝わる薄毛の妖怪である。
その名は「山の住民」を意味し、また、ロンコオヤシ(ハゲお化け)という別名も持つ。
樺太アイヌの伝承によれば、キムナイヌは山の守り神のような存在であり、重い荷物を代わりに持ってくれるなど、人間に友好的な存在であるとされている。
しかし、その頭の薄毛をバカにすると、キムナイヌはたちまち激怒し、大雨や嵐を呼んだり、大木を次々に倒すなどの超常現象を引き起こすという。
他人のコンプレックスを刺激したのだから、こうなることも当然といえば当然である。
ルッキズムはよくないと叫ばれるようになった現在においても、薄毛はいまだに笑いものにされがちな外見的特徴の一つだ。
だが、薄毛を揶揄する言動に心痛める人も大勢いるということは、留意しておかなければならない。
他にも、アイヌ研究家の吉田巖(1882~1963年)が、東京人類学会の機関紙「人類學雜誌」に寄稿した『アイヌの妖怪説話 (續)』には、次のような話が語られている。
(意訳・要約)
ある時、二人の老人が石狩の山奥で、キムナイヌに殺された人間の死体を発見した。
キムナイヌが洞窟に隠れていることを確認した二人は、これを抹殺すべく突入しようとした。
その刹那、洞窟の中から矢筒が一つ、放り出されてきたではないか。
二人はこれを、キムナイヌの謝罪の印であると解釈した。
反省した者を殺したとなれば、どんな祟りがあるか分かったものではないと二人は考え、キムナイヌを許し、矢筒を持って山を下りて帰ったという。
こうして見ると、毛というありふれた存在も、時に人の想像力の中で異形の姿となり、不思議な物語を紡いできたのである。
参考 : 『山海経』『今昔百鬼拾遺』『列仙伝』他
文 / 草の実堂編集部