美学が息づく、米と卵だけのいさぎよき玉子焼きめし「らーめん チョンマゲ 高知本店」美食おじさんマッキー牧元の高知満腹日記
出された瞬間に、息を飲んだ。
潔い炒飯、いや、焼めしである。
まん丸にまとめられた「チョンマゲ」の「玉子焼きめし」は、艶々と輝いて、我々を誘惑する。
そこには、チャーシューもネギも見当たらない。見えるは、米と卵だけである。
ああ、それなのに、どうしてこんなに誘われるのか。
それは自信かもしれない。
焼きめしには具は要りません。なぜなら、玉子とお米で十分においしいのですから。
我々は、玉子とお米で誰にも負けない焼めしを作ります。
潔い姿の焼めしは、そう言って佇んでいる。
その姿勢に、惚れてしまう。
さあいつまでも眺めているわけにはいかない。
レンゲを手に取って、焼めしをすくう。
「いやん。崩すのね」と言われているようで、どきりとする。
口に運ぼうと、あんぐりと開けた口へ甘い香りが流れて来た。
玉子と米の甘い香りがそよいでくる。
はらり。はらり。
舌の上で、米と卵が舞う。
よくおいしい炒飯の表現で、コメがパラパラに炒められていると言うが、この焼めしはそうではない。
確かに米は一致団結しているようでいて、一粒一粒が自立している。
だが、それはパラパラではない。
米自体の甘い水分を含んで、踊りの名人の如く、流麗に舞うのである。
そして卵の甘みが口いっぱいに膨らんでいく。
春の陽だまりのような、幸せに満ちた暖かさが、体の中に落ちていく。
米と卵だけで、これだけの幸福感を増幅させるとは、なんと素敵な料理なのだろう。
食べるほどに心が優しくなってくる焼めしである。
聞けばこの焼めしは、オーナーが以前愛したものであるという。
かつて高知市内に、「風珍」という店があって、そこの名物がこの焼めしだった。
閉店を嘆き悲しんだオーナーが、なんとかあの味をと試行錯誤し、2年かけて間違いなき味を生み出せたのだという。
おそらく、これにチャーシューなど余計な具は要らない。
玉子と米の、互いの甘い蜜月を、ただ楽しむための料理である。
そしてこの店はこの焼きめしだけでなく、さらにおいしいものがある。
種米のような、皮がおいしい全粒粉皿ワンタンや、
麺に風味があって、噛めば噛むほどおいしい塩ラーメンの「らーめん零(ぜろ)」もおすすめである。
このシンプル極まりない焼めしには、美学が息づいている。
それは、「料理は単純な方が良い」という小林秀雄の言葉さえも、想起させるのであった。
高知家の〇〇編集部いただきメニュー
マッキーさんが食べたメニューの他に、高知家の〇〇編集部おススメの「編集部いただきメニュー」をご紹介。
あっさり旨味の塩ラーメン「らーめん零」に対して、深い味噌の味わいの味噌ラーメン「らーめん弐(に)」は香りも高く、甲乙つけがたい。
そして、玉子焼きめしだけでは物足りないというやんちゃな方には、200円(税抜)プラスで唐揚げ2個追加できちゃいます。
らーめんとのセットもよし、おなかの具合に合わせて選べる「チョンマゲ」はランチの強い味方なのだ。
高知県高知市追手筋「らーめん チョンマゲ 高知本店」にて