『文学フリマ東京41』を出店&来場者の両視点からレポート!我々は書きたいし読みたいし、売りたいし買いたい
さあやって参りました、文学フリマ2025年秋の陣である。この記事は、自身も仲間たちと出店をしていた筆者が体験した、めくるめく「文学」たちとの出会いの実録レポートだ。
なぜ文学がカッコ付きの「文学」なのか? それは文学フリマに並ぶものの定義が「作り手自らが文学と信じるもの」だから。きっと誰もが抱く文学のイメージを超えて、その裾野は広く、多様である。いきなり締めくくりのようなことを言ってしまうが、「自身が文学と信じるもの」という定義は祈りにも似て、本当に気高いものだ……としみじみ思う。
2025年11月23日(日)に東京ビッグサイト南1〜4ホールにて開催されたこの『文学フリマ東京41』では、2フロアにわたりおよそ3212の出店者がブースを構えた。ちなみに半年前の前回開催時はおよそ2746。めちゃめちゃ、増えている!これはもう「現代人は意外と文学が好き」なんてレベルではなく、書く側にせよ読む側にせよ「いま私たちは切実に文学を必要としている」ということなのではないだろうか。
うれしい悲鳴。試し読みに溺れそう。
とにかく出店数が多いので、作家のSNSや公式webカタログで事前に目星を付けていない場合は、ひとまず「試し読みコーナー」へ進むのがおすすめだ。
ただ……出店数が多いということは、試し読み用の見本誌の数も膨大である。1・2ホール(下半分)の試し読みコーナーには長机が「A」から「W」まであり、筆者は「L」あたりで一旦集中力の限界を迎え、2度に分けて試し読みの海に飛び込むことになった。
やっぱり本の体裁は、作品と読者を引き合わせる仲介役として、非常に非常に重要である。ただ目立てばいいというものでもなく、お互いの“らしさ”をマッチングするような……ああ、そういうアプリなんかが開発されたらどんなにいいだろう。けれど他力本願なことを考えている場合ではない。ガッツを燃やして、ひたすら心に響く作品を探すしかないのだ。
公開! 完全自腹の購入品
さて、およそ3時間の回遊でゲットした、今回の戦利品はこちら。購入順に……
①『泣ける過去問』(ナイスガイ編集部)
②『全く知らない女から送られてきた〈ある動画の考察〉を読む』(本谷有希子)
③『いちばんよみやすい遠野物語』(いちばんよみやすい遠野物語)
④『ニュートンもダーウィンも毎日三千人に踏まれている』(六本木短歌同好会)
⑤『博物柄 蝋引きブックカバー』(made blue)
である。ちなみにお買い物総額は5,900円。
自分でも驚くことに、財布開幕の1冊目はオモシロ本であった。『泣ける過去問』は、試し読みコーナーで何気なくめくったとたんにブッと吹き出してしまい、「負けたぜ」と購入に向かった作品だ。赤本風の問題集の中には国語・算数・社会などの問題が掲載されている。それが、解き進めていくうちにどういうわけかチョット泣けてしまう……のである(例えば、問い「次の計算をしなさい」が次第に思いやりに溢れ、「暖かくして眠りなさい」に変化したりする)。作者さんは普段デザイン関係の仕事に携わっているそうで、ブースに並ぶグッズもシャレが効いていて可愛かった。
『遠野物語』といえば、柳田國男による日本民俗学のバイブル的な説話集だ。教養として押さえておきたい、けど明治時代の本だしちょっと読みづらい……そうして途中で挫折してはや数年。試し読みコーナーで『いちばんよみやすい遠野物語』を見つけたとき「これが最後のチャンスかもしれない」と思った。軟弱な自分を恥じつつブースを尋ねると、めちゃめちゃ親しみやすい作者さんが「私も挫折組だったんですよ!」と笑ってくれてほっとした。
子どもや入門者向けの『遠野物語』は数あれど、解釈や演出に違和感を覚えるものも多いのだとか。そこで隣にいる娘さん(9歳)のリクエストを受けて、読みやすく、でも余計な脚色を入れず極力原作のままに作ったのがこの一冊なのだそう。作者さんは普段は文学とは遠い分野のライターをされているそうで「だからこそ、文学フリマでは全力で遊べるんです」と語ってくれた。こうして言葉を交わして手から手で買ったこの本なら、今度こそ絶対に最後まで読める気がしている。全文ふりがなもついてるし!
詩や短歌は、その場で読み切ることも可能なので好みの作家を見つけやすいカテゴリだと思う。“全然知らない誰か”の詩集を購入するというのはなかなかの非日常体験であり、だからこそ共感できる作品と出会えた時の喜びも大きい。ミニマルな装丁の短歌集『ニュートンもダーウィンも毎日三千人に踏まれている』は、正直言ってはじめは100円という価格に惹かれて手に取ったものだ。パラパラとめくると、地下鉄通勤し、チェーン店で外食する少しだけブルーな都心会社員の日常が詠まれている。読んでいくうちにどうしても他人事とは思えず、密かに心震わせながら購入を決めた。なお作者さんは日頃ゲーム作りに携わるサラリーマン、とのこと。「なんでまた、文学フリマに出ようと思い立ったんですか?」という質問への「うーん……言葉だけでできるので」との答えもカッコよかった。
砂漠のような果てしなさ
下半分の1〜2ホールを巡り歩いて、気がつけば90分が経過していた。(このあとに自分のブースの売り子のシフトがあるので)取材可能時間は残り90分。まだまだ1〜2ホールに後ろ髪を引かれるけれど、グッと堪えて上階の3〜4ホールへ移動である。
わあ……こちらのホールも、同じだけ広い。そして入った瞬間に圧倒されるほどの盛況ぶりである。まずは試し読みコーナーに行って「あ」から「ね」までのブースを……
それから……
……あれ、「あ」って何だっけ?
全体のまだ折り返し地点だというのに、ここで急に文字がゲシュタルト崩壊を起こし始めてしまった。広大な、広大なビッグサイト……何か見つけなきゃ、と焦る気持ちと裏腹に飛んで逃げてゆく集中力。文字で構築された世界ゆえ、やはり他のフェス系イベントと比べても、文学フリマで消費する精神力(ゲームで言うならMP)はかなり高い。
【教訓】朝ごはんはしっかり食べよう。できれば途中で休憩しよう。ちなみにフードの屋台などは一切無い。コンビニは当然ながら常に大盛況。
ひと味違った「文学」に目を向けて
危うく文字に遭難しかけたところを、救い上げてくれたのは壁際のブースで見つけた色彩だった。「made blue」では小説のほか、画集やアートポスターなどを販売しており、中でもトランクいっぱいのカラフルなブックカバーが心に響いた。大の読書好きという作家さん曰く、自分の手汗で本が傷んでしまわないように、水に強い蝋引き加工紙のブックカバーを製作するようになったのだという。独特の色遣いは、自身の共感覚に基づいているのだとも語ってくれた。ちなみに、さまざまな動物柄があるブックカバーの中の人気どころを尋ねてみると「(文学フリマでは)なぜかキーウィが好きな方が多いみたいで、たくさん持ってきたのに残り少なくなりましたね(笑)」とのこと。それは絶滅動物のキーウィに文学を感じる人が多いから……なのかもしれない。
文学フリマには、一般商業流通には乗らない作品が数多く集まる。作り手が文学と信じるなら、それは本・書籍の姿ではないことだって多い。例えば「100円で販売してます」のブースでは、レジンで固めたセミの抜け殻のクリップアクセサリーがその名の通り100円で販売されていて、思わず二度見してしまった。物静かな作者さんに意図を尋ねてみたところ、共同出店する仲間とのテーマが「琥珀色」だったため、そこからイメージを膨らませたのだという。うーん確かに、セミの抜け殻にも文学を感じるかも……。
生産者の顔が見える文学
ホール内をさまよう中で、明らかに異彩を放っているブースを発見したので現場に急行。筆文字の詩で四方を囲んだ設えは、会場でも1、2を争う目立ちぶりである。一体どんな人が売っているのかヒヤヒヤしながら近寄ると、書の合間からひょっこり顔を出したのは意外なほど人懐こく、圧強めの表現とはいい意味でギャップを感じる作家さんだった。
長野県から今回で2度目の参戦だという詩人の涙川さんは、自身の紡ぎだす言葉をよりビビッドに伝えるべく、毛筆を使った文字表現に独学で打ち込んできたと語る。ブースのインパクトがすごいですね! と伝えると「ちょっと怖かったですかねー? 人がなかなか寄ってきてくれなくて」と眉を下げ、それでも後悔は無いとばかりに笑っていた。文学フリマでは、大前提として作家自身による対面販売が推奨されている。この人からこの表現が出てきたのか〜、なんて想いを馳せるのもまた、醍醐味の一つである。
そしてそう、重ねて言うが、文学フリマは作家自身による対面販売が基本なのである。購入したものリスト②の『全く知らない女から送られてきた〈ある動画の考察〉を読む』は、劇作家・小説家の本谷有希子から直接購入したものだ。演劇少女だった筆者が好きで好きで仕方がなくて、度々公演のボランティアスタッフに入るほど大好きだった作家である。設営中に名前を見かけて大慌てでSNSを検索すると、今回が文学フリマ初出店とのことで、自費出版のこだわり抜いたZINEを数量限定販売するという趣向だった。購入列に並んで作品を手渡ししてもらったときには、ここ数年の新刊も読んでいなかったくせに「ずっとファンでした」なんて言うのもおこがましい気がして、胸が詰まり何も言えなかった。でも、ちょっと涙が出るくらい嬉しかった。まずはこの一冊を大切に読もうと思う。
売り子やらねば!
コンコースでおにぎりを口に詰め込み、15時からの売り子のシフトに滑り込む。設営担当の仲間が張り切ってくれたおかげで、うちのブースも手前味噌ながら結構なインパクトである。交代する仲間に「状況は?」と尋ねると「微妙です!」と戦場さながらの手短な報告が返ってきた。巻き返しを狙うべく、両サイドに挨拶してすぐに呼び込みを始める。
今回は取材でぐるっと回ってから売り子になったので、会場を巡る人たちの気持ちが何となく分かるような気がしていた。きっと滞在時間が長くなるにつれて、景色が文字の粒で出来た砂漠のように見えているのではないか。ああ一体どこへ向かえばいいんだ……誰か、この手を引いて導いてくれ……! 少なくとも先ほどの自分はそう思っていた。だからこそ、うるさくならない程度の音量で「ここにこんな文学があるんですよ」と声掛けを続けることは大事なはずだ。相手が掴むにせよ掴まないにせよ、まずは売る側から手を伸ばさなければ!
しばらく声を出し続けていると、やがて隣のブースの売り子さんと自然に呼吸が合ってきて、流れるように呼び込みが続くようになった。みんなでエリア全体の空気を動かしているような気がして、ふしぎな連帯感が芽生えた瞬間だった。
つわものどもが夢のあと
結果、販売数はそこそこで、完売には至らなかった。無念である。出店数がこれだけ多いと、よほど惹きつけるものが無い限り足を止めてもらうことすら難しい。混雑の中、目当てのブースを巡るだけで精一杯という人も多そうだ。次回は自分たちが“目当て”のブースになれるよう、事前の広報戦略にもっともっと力を入れようね! と、メンバーと打ち上げの席で作戦を語り合うのだった。在庫を抱えても、ヘロヘロになっても、当たり前のように次回のことを考えている。やっぱりどうしても文学フリマって楽しいのだ。
購入してきた「文学」たちは、実はまだ読み始めていない。このレポートを無事入稿したら、そこからが筆者のお楽しみタイムの始まりだ。ページをめくった先に、果たして鬼が出るか蛇が出るか……でも祭りを経て感性が研ぎ澄まされた今なら、正直言って何が出てきても面白がれる自信はある。そして自分たちの書いた言葉も、今頃どこかで誰かの心に触れていたらいいなと、心から願うのである。
次回の『文学フリマ京都10』は、京都市勧業館みやこめっせにて2026年1月18日(日)に開催。東京では『文学フリマ東京42』が2026年5月4日(月・祝)に開催予定だ。入場チケットは当日でも購入できるけれど、割安になる事前購入がオススメである(差額で何か一冊買えるかも)。文学を愛する皆皆さまは、イープラスをぜひチェックされたし!
文・写真=小杉 美香