第二次世界大戦で伍長になった天才クマ・ヴォイテクとは「好物はタバコとビール」
昨今の日本では、野生のクマによる獣害事件が度々起こり、人々を恐怖に陥れている。
クマは確かに人間にとって脅威となり得る動物だが、とても賢い生き物でもあり、サーカスや動物園では人間の指示に従い、芸を披露できるという能力も持っている。
ヴォイテクとは、第二次世界大戦でポーランド軍に従軍していたシリアヒグマだ。
幼い頃に母熊と死に別れ、人間に育てられたヴォイテクは、ポーランド陸軍の兵士らと共に部隊の一員として器用に弾薬箱を運搬したという。
同じ部隊の兵士たちと昼夜を過ごし、ご褒美としてもらうビールやタバコを好んだといわれるヴォイテクだが、戦後はどのように過ごしたのだろうか。
今回はポーランド第2軍団の輸送中隊に配属され、伍長まで昇進したヒグマ・ヴォイテクについて解説していく。
猟師に母を撃たれ独りぼっちになった子熊
第二次世界大戦中の1942年春、ヴワディスワフ・アンデルス将軍に率いられたポーランド軍と大勢の民間人は、1939年のソ連によるポーランド東部侵攻後にソ連へ強制送還されていたが、この時期にソ連領内からイランへ退避した。
ヴォイテクの出自については諸説あるものの、一説にはテヘランに向かう道中の1942年4月8日に、アンデルス軍に難民として同行していた将軍の大姪であるイレーナが、肉の缶詰と交換して引き取った子熊がヴォイテクであったという。
元の持ち主だった少年によればその子熊は、イランのハマダーン付近で母親を猟師に撃たれて亡くし、独りぼっちになっていたところを連れてきたという熊だった。
ヴォイテクは3ヶ月ほどの間はイレーナとともにテヘラン郊外のポーランド難民キャンプで過ごしていたが、やがてイレーナの手には負えなくなり、近くに駐屯していたポーランド軍の兵士たちに引き取られ、後に第22砲兵補給中隊に所属することになる。
陸軍に引き取られた子熊は兵士たちから、「微笑む戦士」や「戦を楽しむ者」を意味するヴォイテクと名付けられた。
ポーランド軍の一員となったヴォイテク
軍に預けられた時、まだ1歳にもなっていなかったヴォイテクは固形の餌をうまく呑み込めず、兵士から空のウォッカの瓶にコンデンスミルクを入れたものを与えられて育った。
兵士たちから世話をされるうちに、ヴォイテクは兵士たちとレスリング遊びをすることを覚え、挙手で敬礼をできるようにもなった。
ヴォイテクは力加減が上手で、レスリングをする時も相手の兵士を傷付けないのはもちろんのこと、わざと負けてみせることもあった。
成長して餌が食べられるようになってからは、果物やハチミツ、マーマレードや甘いシロップを食べ、時々ご褒美としてビールももらっていた。
ヴォイテクの1番の好物はビールで、それに加えてタバコやモーニングコーヒーも嗜んだ。タバコは仲間の兵士に火を点けてもらって吸ったり、そのまま食べたりしたという。
部隊のキャンプにヴォイテクの寝床は用意されていたが、寒い日は世話役の兵士の隣に潜り込んで寝ることもあった。人間の真似をして、後ろ足だけで歩くこともあった。
人間とともにヒグマが仲良く行動していれば、当然目立たないわけがない。
ポーランド軍はイラン周辺で有名クマになったヴォイテクを、イラン付近に駐屯していた全部隊の非公式マスコットとして採用した。
こうしてポーランド軍の一員となったヴォイテクは、隊員としてイランからイラク、シリア、パレスチナ、エジプトを経由して、イタリアに入ってモンテ・カッシーノの戦いに参戦することとなる。
階級を与えられたヴォイテク
ヴォイテクがイタリアに入るにあたり、困ったことがあった。
ヴォイテクが入隊したポーランド軍部隊はイギリスの輸送船でイタリアに向かうことになっていたが、規則によりマスコットやペットなどの動物を乗せることはできなかったのである。
そこでポーランド第2軍団の指揮官だったアンデルス中将は、裏技を使うことにした。
なんとヴォイテクを正式な兵士として登録し、軍籍番号や軍隊手帳を与えることで、兵士として輸送船に乗れるよう手配したのである。
こうして正式にポーランド軍の兵士となったヴォイテクは、仲間の兵士と共に無事イタリア入りし、激戦となるモンテ・カッシーノの戦いにおいては弾薬輸送を手伝ったといわれる。
さらには輸送係として活躍しただけではなく、シャワー室で水浴びをしようとした時にアラブ人スパイに偶然出くわして、その捕獲にも一役買ったという逸話も残っている。
その頃には90kgほどに成長していたヴォイテクは、45kgもある弾薬箱を足場が悪い場所でも器用に運ぶなど活躍し、その働きは連合軍の将軍や政治家の間でも知られるようになり、後に伍長となった。
モンテ・カッシーノ戦終結後には、自らが所属していた第22輸送中隊の公式シンボルとなり、部隊のエンブレムには砲弾を持ったヴォイテクのシルエットが採用された。
余生を動物園で過ごす
第二次世界大戦が終結した後、ヴォイテクは第22中隊の残りの兵と共に、スコットランドに移送されてハットン村近郊の飛行場に駐屯した。
その駐屯地でも人気者になり、スコットランド・ポーランド文化協会の名誉会員にも選ばれたが、1947年の動員解除後はイギリスのエディンバラ動物園に引き取られることになった。
もう戦場で弾薬を運ぶ必要もなく、穏やかに余生を過ごせるようになったはずだが、エディンバラ動物園で過ごすヴォイテクはいつもどこか寂し気で、ポーランド語での呼びかけにしか反応しなくなっていた。
ヴォイテクと行動を共にした元ポーランド兵は動物園を頻繁に訪れたが、ヴォイテクは昔の仲間たちの顔を覚えていて、彼らがやってくると目を輝かせて喜んだという。
ヴォイテクはメディアに注目されて世間に認知され人気者になり、イギリスの子供向け番組にも頻繁に出演していた。
そして1963年12月2日、22歳の時に、ヴォイテクは自然死にてその生涯の幕を降ろした。
死亡時の体重は約250kg、体長は180cm以上になっていた。
死後も人気が衰えなかったヴォイテク
ヴォイテクは死後も人気者だった。
エディンバラ動物園には追悼のための石板が設置され、ロンドンのシコルスキ博物館には記念碑が、ダックスフォード帝国戦争博物館とカナダの戦争博物館には飾り額が設置された。
その他にもイギリスやポーランドの各地に、ヴォイテクのブロンズ像や、ヴォイテクにちなんだ地名などが残されている。
現イギリス国王のチャールズ3世は、皇太子時代に息子たちと帝国戦争博物館を訪れた際、ガイドに対して「ヴォイテクのことはよく知っているので説明はいらない」と伝えたという。
人間に育てられ、人間のために兵士として働いたヴォイテクの余生は、動物園にいる普通のヒグマと変わらない生活だったが、頭が良すぎたヴォイテクにとっては退屈で孤独だったのかもしれない。
人間の都合で翻弄された生涯だったが、従軍中のヴォイテクとポーランドの兵士たちが心を通わせていたことは、今日残る写真を見ても間違いないと言えるだろう。
参考文献
ビビ・デュモン タック (著), フィリップ ホプマン (イラスト), Bibi Dumon Tak (原名), Philip Hopman (原名), 長野 徹 (翻訳)
『兵士になったクマ ヴォイテク』
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部