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『森 フォレ』演出の上村聡史、出演の成河、亀田佳明に聞く~演出家と俳優が「台本を一緒に紐解く」

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(左から)亀田佳明、上村聡史、成河

2021年7月から世田谷パブリックシアターほかで上演される『森 フォレ』。一人の女性がみずからのルーツを探るなか、時代は遡り、1870年から約140年もの時間が繋がっていく。

『森 フォレ』はひとつの独立したストーリーだが、劇作家ワジディ・ムワワドによる「約束の血 4部作」の3作目にあたる。1作ずつ登場人物も世界観も異なるが、世田谷パブリックシアターでも上演してきた『炎 アンサンディ』『岸 リトラル』とともに、いずれも「血」が共通する物語だ。『森 フォレ』は、過去2作がつくられたからこそたどり着いた、そして、そのまた一歩先を描いた作品となっている。

前2作がそれぞれ数々の演劇賞を受賞するなど高く評価され、待ち望まれた『森 フォレ』の上演も今回ついに実現されることとなった。シリーズすべての演出を手掛けてきた上村聡史と、上村演出は初となる成河、「約束の血4部作」出演2作目となる亀田佳明の3人に話を聞いた。


■想像力の継承

──上村さんはワジディ・ムワワド作品を『炎 アンサンディ』『岸 リトラル』と演出してきました。しかし本当は、まず『森 フォレ』を上演したかったそうですね?

上村:いやぁ、なにを考えていたんでしょうね! 『森 フォレ』は、ものすごーく壮大な作品だからやりたいなぁって、それだけだったんです(笑)。『炎 アンサンディ』や『岸 リトラル』よりもメタファーが多く散りばめられている。森とか、海とか、動物などのメタファーが出てくる瞬間に見えてくるイメージに、10年前は惹かれたんでしょうね。今思えばよくこんなのやりたいと思ったな。

成河・亀田:(爆笑)

──4部作とはいえ、それぞれが独立したストーリーです。それでも繋がったテーマやモチーフがあるこの「約束の血」シリーズ。そのなかで『森 フォレ』の面白さとは?

上村:一見、家族の「血の物語」にも見えるけど、実は「想像力を継承していく物語」だと思います。ギリシャ悲劇の劇作家たちが書いたような嘆き、悲しみ、怒りが脈々と継承されていき、現代、そしてその先の時間まで続いていく。だから僕たちの作ったものが、お客さんの記憶にも継承されていければいいですね。

亀田:登場人物が、それぞれの痛いところを鷲掴みにして提示するようなところが多々あるんです。ムワワドさんの戯曲には台詞の中に、会話の相手だけに向けているのではない「語り」のような言葉、本来、口語だけなら書かれないような、詩的だったり、徹底的に傷つける言葉がたくさん散りばめられています。そういう「語り」が印象的で、面白いですね。でもその言葉を言う時には、自分の身体の中から発語しなければいけないから「なんでこんな言葉を選ぶんだよ、ムワワドさん~!」って苦しむのですが、しかしそれは同時にやりがいでもある。『森 フォレ』には壮大な140年の時間の流れがあるので、そこにいる人間達の言葉や痛みを、できるだけ具体的に自分の今の言葉として吐いて、相手役やお客さんに伝えていけるようにトライしていきたいですね。

成河:生活の中でも、見たくないものを見たり、居心地悪い思いをしたり、考えたくないことを考えないといけないことは、たくさんあります。『岸 リトラル』『炎 アンサンディ』を経て、『森 フォレ』は3作目にして、その居心地の悪さをきちんと味あわせ、見たくないものや見た先の遠くにある光のようなものをきちんと描こうとしてくれている。それは簡単にできることではないからこそ、お客さんにとっても作る人間にとっても、それぞれが抱える自分の問題を解決するヒントになるだろうと、そんな気がするのです。

成河



■何を翻訳するか

──ワジディ・ムワワドさんはレバノン生まれで、フランス、次いでカナダに亡命後、フランスで演劇活動を続けています。その経験は作品にも反映されていると思われます。このような翻訳劇を上演するにあたって心がけていることはありますか?

上村:僕の場合は、日本の劇場でも今の私たちに馴染みがものをよく演出してますね(笑)。このあいだも幕末の芝居(『斬られの仙太』)を上演しましたし。どちらにしても、どうやってその劇世界にジャンプするかという問題かな…。作り上げたイメージのなかに飛び込むのか、それとも、今の自分たちの等身大に引き寄せてで芝居をやるのか……。世界を顕微鏡でみるか、望遠鏡でみるか、の違いだけですので、さして意識はしていません。

成河:いやぁ、でも、これ好きなテーマだから話しが長くなっちゃうな(笑)。翻訳劇の上演は、俳優が自主的に、自分の言葉に責任を持って投げかけないといけないと思うんですよ。演出家のジョン・ケアードとシェイクスピアの『十二夜』をやった時(2015年)、「君たち日本人にはチャンスなんだよ。イギリス人はシェイクスピアの台詞(英語)は一切変えられないから大変なんだ」と言われました。僕たちも日本語の戯曲なら「ここに書かれた言葉通りに向き合うしかない」と覚悟が決まる。でも翻訳劇なら「そちらの台詞は直訳に価値があるから書かれた通りに喋りましょう。でもこちらの台詞はやりやすく言い換えてもいい」と考えられる。『十二夜』の翻訳をされた松岡和子さんも「台詞が言いづらいならどんどん言ってほしい。チャンスだから」と言ってくれた。もちろん変えられない台詞もあるけど、それは俳優がしっかり納得すれば言える。もっとも、納得するためにいろんな可能性を考えているうちに「すみません、もうわかったので元通りでいいです……みんなありがとう……」となることも往々にしてあるけどね(笑)。

亀田:あるね。でも、それは大事だよね。

亀田佳明

成河:そこにたどり着くまでのプロセスを踏んだかどうかが大事なんです。翻訳劇っぽく喋ることはできるんだけど、現実感のある言葉として受け取ってほしいから「台本のエッセンスの何を翻訳したいのか」を考えながら落とし込んでいかないと。

──台詞を変える時は、今回だったら翻訳の藤井慎太郎さんと相談しながら言葉を探していくのでしょうか?

上村:藤井さんの翻訳に、僕がスタッフワークを鑑みてテキレジしていくというスタイルかな。というのも、ムワワドさんがフランスで演出したものは俳優が12人で約40ほどの役を振り分けていましたが、僕は11人の座組にしたんです。ムワワドさんは配役も含めて劇作をしており「この役とこの役を同じ俳優がやると、こういう言葉になる」ということも踏まえています。それを僕が11人にするわけなので、藤井さんが訳して精査してくださった言葉を、僕が全体の流れを見て調整していきます。

──なぜ11人に変更を?

上村:少々散漫に感じたところがあるので整理したかったことがひとつ。それと、空間としても、フランスの大きい劇場なら12人でよかったけれど、世田谷パブリックシアターで一番いいマックスの人数は11人かなと考え、男性を一人減らしました。

上村聡史



■“読み合わせ”の意義

──稽古に入って数日は、全員で台本を読み、意見を出し合うそうですね。

上村:みんなで「ここがわからない」みたいな質問大会をします。いろんなお客さんがいるように、多角的に作品を捉え「ここは面白いけど、この部分はつまらない」と共有していった方が、視野が広がる創作の時になるので。

成河:盛り上がりますよ(笑)!

上村:ムワワドさんは俳優たちと一緒に作品を作っていくんです。複合的な視点が多いし、現地の俳優さんのクセも台本に反映されているので「ここは必要かな?」「ここはなにを言いたいのか」と探りながらやっています。

成河:キリがないですよね。小さな言葉の意味から、台本の構造的なことから。

亀田:書かれていないことが膨大にあるので、「なぜこの人物はこうしたんだろう」とか。

成河:でも素敵なのは、他の役の人が、僕の役についても質問してくれる。自分では見えていなかったことを聞いてくれるんです。むしろ、みんな、自分の出ていないシーンについてバンバン言ってくる(笑)。それだけ台本の言葉がすっと入ってきているんだろうな。自分が出ていないシーンでも、他の役が、自分と同じ単語を話していたり、同じ言い回しをしていたりしますからね。

上村:無意識に他の役のことも考えてしまうんだろうね。

──立ち稽古の前に台本について話し合うことの意図はなんですか?

上村:読み合わせは、自分のイメージだけに偏らずに相手役と擦り合わせていくことで、立ち稽古でどう板の上に存在するか考えるプロセスだと思います。あと、今回は初めての方もいるので、声の質感を探っていますね。その人の声の出し方によって聴こえ方が変わる。「ありがとう」という台詞ひとつでも、素直な感謝に聴こえることもあれば、「含みがあるのかな?」と感じることもある。それを擦り合わせています。

亀田:僕は新劇の劇団(文学座)に所属しているので「(新劇は)読み合わせが長い」とよく言われるんですけれど、やらないとやはり不安になってしまいます。現場によってはすぐに立ち稽古に入るところもありますが、1週間くらい読んで内容を理解していくことは、非常に大事な時間ですね。脚本の内容や、相手が喋っていることを聞いて、落とし込んでいくんです。

成河:「当然、そうだろう」と思っていたことが、共有してみるとみんな違うことを感じているのがすごく面白い! 自分にこびりついてしまった変なこだわりを「ああ、自分は思い込んでいただけなんだな」って発見する。こういうことも、共同作業ならではのひとつですよね。

上村:全体の時間がない時でも、読み合わせをしっかりしておいた方が逆に速いんだよね。もし読み合わせの次の日から立ち稽古だったらどうなっていたか。

亀田:たしかに!(笑)

亀田佳明



■俳優と演出家の関係

──2014年からムワワドさんの作品を上演してきて、演出に変化はありますか?

上村:「音」をすごく気にするようになりました。俳優の台詞の音、身体から醸し出される音……。ある時は身体のノイズも含めて、どうやってお客さんに届けた方がいいのだろう、熱狂的な方がいいのか、静かにポツーンと感じさせた方がいいのか、など。俳優が抱える作品の背景のイメージを、どういう「音」で広げさせればいいのかを大事にするようになりました。やはり芝居って、物語の起承転結を楽しむだけじゃなく、俳優個人の存在が物語になると思うんですよ。それを表現できるのが「音」です。お客さんには俳優の立ち姿や、声といった「音」が印象に残りますから、『森 フォレ』も11人の「音」が記憶に残る作品にしたいですね。

──俳優の側から見て、上村さんの演出はいかがですか?

上村:最近よく自分の演出を「民主的」ってしつこく言ってるよね。

亀田:そう、自分で言ってますね(笑)。

上村:理屈で強引に行きたい方に持っていってるなと自分で感じてるから、あえて自分で「民主的」って言ってプロパガンダしてるんでしょうね(笑)。

亀田:俳優がちょっと変化することに気付くのはとても早いですよね。そして、非常に細かい。作品の裏側の部分をとにかく詰めていく。その作業は俳優にとって大事な楔(くさび)のようなものです。僕たちはできるだけぼんやりした部分がないように作っていくので、その楔がないとちょっとふわふわしてしまう。

成河:芝居って、どれだけぼんやりしないでいられるかが勝負。上村さんはどんな質問をしても全部ちゃんと返してくれるんです。その“返し方”が衝撃的でした!こんなこと聞いてもいいのかなというような質問にも、とても論理的に理路整然と返してくれるのかと。さっき「民主的」とおっしゃっていたけれど、民主的なのと独裁的なのは両義性でどっちもなきゃ駄目。上村さんは、何度も試作を繰り返していくことを押し付けがましくなく信頼させてくれるので、「じゃあこっちからも投げてみよう!」と、頼りがい、恥のかきがいがものすごくあります。

成河

──演出家として上村さんは、俳優たちとどういう関係であろうとしていますか?

上村:結局、台本が媒介してくれるんですよね。俳優と僕の間で不都合があっても「ここに言葉がある。この言葉でどうやってお客様に届ければいいのだろう」と台本を軸に俳優とキャッチボールしている。もし、自分が劇作家だったら俳優と対立関係になってしまうだろうから、いつも「劇作家じゃなくてラッキー」と思います(笑)。

成河:たしかに。劇作家と演出家が同じ人の場合は、ぶつかり合いをエネルギーにしているところがありますからね。それはそれで良さもありますけど。

──上村さんは台本を地図にして「一緒に道を探していこう」と。

上村:そうですね。その促し方については、いろいろとあの手この手がある(笑)。どのタイミングでどういった提案を俳優に切り出すかはとても繊細なことで、演出を始めた15年前の僕は、よく破綻した言い方をしてました。今、こうして素晴らしい台本を基に「一緒にここから紐解きましょうよ」とできるのは、とても幸せなことだと思います。

上村聡史

今作にあたって、劇作家のワジディ・ムワワドが『森 フォレ』台本の冒頭にしたためた「覚書」が、世田谷パブリックシアター公式サイトの公演ページ( https://setagaya-pt.jp/performances/202107mori.html )に掲載されている。そこには、日本においても衝撃を与えてきたこのシリーズに対する思いや、作品としての在り方が記されている。いかにこの『森 フォレ』が、シリーズにとって、演劇にとって、さらに人間にとって残酷で柔軟な希望となりえるかを感じられるかもしれない。いずれにせよ観劇の手引きとして、目を通していただくことを望む。

取材・文=河野桃子  写真撮影=ジョニー寺坂

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