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#3 『ハムレット』は失敗作?――河合祥一郎さんが読む、シェイクスピア『ハムレット』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

NHK出版デジタルマガジン

#3 『ハムレット』は失敗作?――河合祥一郎さんが読む、シェイクスピア『ハムレット』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

東京大学大学院教授・河合祥一郎さんによる


シェイクスピア『ハムレット』読み解き #3

「優柔不断」な青年は、ある答えにたどり着く――。

父を殺された青年ハムレットは、なぜ復讐を先延ばしにするのか。「理性」と「感情」に引き裂かれる近代人の苦悩を描き出した、シェイクスピア悲劇の最高峰、『ハムレット』。

『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット』では、『ハムレット』を単なる「復讐劇」ではなく、存在の問題を追求する哲学的な作品として、シェイクスピア研究の第一人者・河合祥一郎さんが解説します。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします
(第3回/全6回)

『ハムレット』は失敗作か?

 一方、二十世紀前半のイギリスの詩人T・S・エリオットは、『ハムレット』を「芸術的失敗作である」とまで言い切ってしまいます。これはこの作品を単なる“復讐劇”という枠組みでとらえようとする大きな誤解からきているのですが、『ハムレット』では主人公の苦悩が作品の状況を超えてしまっており、エリオットの古典主義的な芸術観からすれば、作品としての枠組みが破綻しているというのです。

 しかし整合性を重んじる古典主義の表現形式には、作者シェイクスピアははじめから無頓着でした。シェイクスピアがその創作の拠りどころとしたのは、リアリスティックな整合性ではなく、奔放な想像力だったのです。そこに古典主義やリアリズムの理屈を無理矢理当てはめるからおかしなことになるのです。理詰めの古典主義者はハムレットをわけのわからない人物と批判し、ロマン派は何もかも優柔不断な性格のせいにしましたが、シェイクスピアを正しく理解するためには、作品が書かれた当時、つまり四百年前のエリザベス朝時代のイギリスの文化や表現のあり方を理解する必要があります。

 ただし二十世紀後半になると、フランスの哲学者ジャック・デリダの考えに基づく脱構築(ディコンストラクション)批評の影響で、解釈の多様性が強調され、もてはやされるようになります。かつてシェイクスピア学者たちはテクストを緻密に研究して、ひとつの正解を求めようとしていたのですが、最近では、正解はなくてもいいのだという考え方が主流になり、批評は百花繚乱の様相を呈してきました。『ハムレット』という原石にいろいろな角度から光を当てて、多様な解釈を巻き込みつつ、文化的なイメージとしての『ハムレット』はどんどん広がる方向にあります。

 確かに『ハムレット』という作品には、限りなく多様な解釈を紡ぎだすことのできる、尽きない魅力があります。しかしそのように“何でもあり”な文化的イメージとしてのハムレットを受容するだけでは、やはり『ハムレット』という作品の本当の面白さはわかりません。もう一度、作品が書かれた原点に立ち返ってみるべきだと思うのです。しかも近代的な私たちの眼から見るのではなく、エリザベス朝の眼で丁寧に見直すことで、『ハムレット』の謎は、はじめて解けるのではないかと思います。

劇のあらすじ

『ハムレット』は全五幕からなる戯曲です。やや専門的なお話になりますが、当時刊行された戯曲には、長さも台詞も異なる、クォート版(四つ折り本)とフォリオ版(二つ折り本)の二種類があります。初版本である一六〇三年の第一クォート版(Q1)はテクストの乱れがひどい不完全なもので、信頼できるのは一六〇四年の第二クォート版(Q)と、一六二三年のシェイクスピア全集=フォリオ版(F)であるとされています。

 最近まで、QとFの折衷版が定番でしたが、シェイクスピア研究が進むにつれ、シェイクスピアの劇団で実際に上演されていたのはFであり、草稿レベルのQをシェイクスピア自身が改訂したのが、上演用のFであるという見方が強まってきました。私の『新訳 ハムレット』(角川文庫)は、基本的にFを翻訳の底本としつつ、Q固有の台詞も脚注に盛り込み、また場合によっては注つきで本文に組み込んであります。

 ここで改めて、劇全体のあらすじをごく簡単におさらいしておきましょう。

 デンマークのエルシノア城──。そこでは亡くなった先代のハムレット王の亡霊が夜毎に出没し、衛兵たちを怯えさせていた。 父である先代王の死を嘆く王子ハムレットは、叔父のクローディアスが、先代王の葬儀から日も浅いというのに、先代王の妃であり王子の母であるガートルードを妃として王位に就いたのが許せず、悶々としていた。ドイツのウィッテンバーグ大学での学友ホレイシオと衛兵から、亡霊のことを知らされた王子は、その夜自分も城壁の見張りに立つ。はたして現れた亡霊はまさに先代王の姿をしており、「そなたの父を嚙み殺したという毒蛇は、今、頭に王冠を戴いている」と王子に告げ、復讐を命じて消えてゆく。

 ハムレットは復讐の機会を窺うために狂気を装うが、王クローディアスの腹心の家臣ポローニアスは、王子の錯乱は娘のオフィーリアへの恋煩いのためだと早合点する。オフィーリアも王子を慕っていたが、父の命令で王子にもらった手紙を返し、王子に会わないようにしていたからだ。一方、王は、王子の学友であったローゼンクランツとギルデンスターンを呼び寄せ、王子の様子を探らせる。

 やがて、旅役者の一座が到着し、喜んだハムレットは、「芝居を打って、王の本心をつかまえてみせ」ようと思う。父の亡霊と思ったのは悪魔かも知れず、復讐の前にもっと確かな証拠が必要だと考えたのである。王子は「生きるべきか、死ぬべきか」と逡巡しつつ、人生について瞑想し悩んだ末、人間としての己の弱さを痛感し、「尼寺へ行け」と言ってオフィーリアを突き放してしまう。その様子を隠れ見ていた王は、王子が単なる恋煩いではない、危険な何かを胸に秘めていると気づく。

 その夜、果樹園で午睡中の王の耳に毒を注いで殺すという──亡霊の語ったとおりの、つまり死人が口をきかない限りわからないはずの──先王暗殺の様子を芝居で再現して見せたところ、はたして王クローディアスが取り乱して立ち去ったため、ハムレットは王の犯罪を確信する。その直後、罪の意識に駆られて祭壇に跪く王を見つけた王子は、チャンスとばかり背後からそっと近づいて剣を振りあげるものの、祈りの最中に殺したのでは、仇を天国に送るだけのことだと考えて剣を収めてしまう。

 それからハムレットは母ガートルードの部屋に向かい、母が父を忘れてしまったことを責めたてる。「今、鏡をお見せします。心の奥底までご覧になるがいい」と迫ると、母が悲鳴をあげ、壁掛けの背後に潜んでいた男が驚いて叫び声をあげたため、王子は「何だ? 鼠か!」と剣を抜き、壁掛け越しに男を刺し殺す。王かと思った男はポローニアスであった。王子はこの殺人のためにイングランド送りとなり、また、恋人に父を殺されたオフィーリアは正気を失ってしまう。父の訃報を聞いて留学先のフランスから飛んで帰ってきた兄レアーティーズは、妹オフィーリアの狂乱ぶりを見て、仇を討つことを誓う。オフィーリアは、歌いながら皆に花を配ったりした末、小川で溺れて死んでしまう。一方、王子は、王の策略でイングランドに着いたとたんに殺されることになっていたが、途中で海賊に襲われたのを契機にデンマークへと舞い戻り、オフィーリアの葬儀を目の当たりにして「俺はオフィーリアを愛していた」と叫ぶ。

 最終場、王と画策したレアーティーズはハムレットと剣の試合をして、毒塗りの剣で王子を殺そうとする。だが、王が用意した毒入りの盃を王妃が誤って飲んで死んでしまい、自らも毒の剣に傷ついたレアーティーズは王の悪事を暴露する。ハムレットは盃に残った毒を王に飲ませて殺し、自分も毒の剣の傷を受けて死ぬ。最後にノルウェー王子フォーティンブラスが登場、この国の統治権を主張し、ハムレットの丁重な葬儀を命じる──。

著者

河合祥一郎(かわい・しょういちろう)
東京大学大学院教授。専門はシェイクスピア、英米文学・演劇。東京大学文学部英文科卒業後、同大学院にて博士号、英ケンブリッジ大学にてPh.D.を取得。おもな著書に『ハムレットは太っていた!』(サントリー学芸賞、白水社)、『シェイクスピアの正体』(新潮文庫)ほか多数。シェイクスピア戯曲の新訳のほか、ルイス・キャロル、C・S・ルイスなどの作品を翻訳。

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ』(河合祥一郎著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。

*本書における『ハムレット』引用部分の日本語訳は、著者訳『新訳ハムレット』(角川文庫)によります。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2014年12月に放送された「ハムレット」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「ハムレットの哲学」、読書案内などを収載したものです。

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