陸上やり投・北口榛花選手の才能を「つぶさなかった」指導法とは──? 【𠮟らない時代の指導術】
世界陸上など国際大会で活躍を続ける、パリ五輪女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花選手。
北口選手にやり投を最初に教えた松橋昌巳さんの経験から見えてくる「育成コーチの価値」とは。
指示がなくとも自ら動き、成長し続ける力はどうすれば育めるのか。ヒントは「𠮟る指導」からの転換が急がれる、スポーツ育成の最前線にありました。ドラフト選手を次々輩出する無名校の「環境整備」の秘訣、五輪金メダルを生んだ「問いかけ」の心理的効用──。「消えた天才」を生まないためのスポーツ現場の取り組みには、子育てからビジネスまであらゆる指導に応用できる驚きのスキルが詰まっています。
スポーツと教育の現場を長く取材する島沢優子さんによる『𠮟らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』より、一部を編集して特別公開します。
教えたくなる欲求にブレーキをかける──北口榛花の才能をつぶさなかったコーチ
陸上競技の投てきのひとつ「やり投」という種目は、日本人に不利だと言われ続けてきた。特に女子は海外の選手に比べ体格やパワーで劣る。その部分で勝負できそうな高身長の女子は、よりメジャーな競技であるバスケットボール、バレーボールに集まりがちだ。
そういった不利な状況を覆したのが、パリ五輪女子やり投で金メダルを獲得した北口榛花だ。身長179センチと欧米の有力選手に引けを取らない。その北口にやり投を最初に教えたのが、北海道立旭川東高校陸上部顧問だった松橋昌巳だ。
2013年の新学期が始まって間もない日。上級生部員が「先生、すごい子がいる!」と北口を見つけてきた。身長があるうえ、身体能力も高かった。小学校時代はバドミントン、中学校では競泳で全国大会に出場するなど運動能力のベースもすでにできあがっていた。
その年の9月、7年後の東京五輪開催が決定した。運命だとさえ思えた。松橋は「この子ならオリンピックを狙える。大切に育てなければ」と力が入った。そこから二人三脚が始まった。運動歴はあっても陸上競技自体は初心者の北口に対し、走る、跳ぶ、投げるといった基礎動作をゼロから教えた。丁寧に教えようとすればするほど、どうしてもほかの部員よりもかかわる機会が多く、接する時間が長くなった。
松橋は筑波大学陸上競技部出身で情熱のある理論派。どちらかといえば選手に干渉するタイプの指導者だった。北口が干渉されていると感じたように見えたときは、指導の手をゆるめるなど加減した。「彼女のほうが私より器が大きい」と感じたからだ。
2014年、高校2年夏のインターハイ。4投目に他選手に記録を抜かれた直後、北口は松橋に「先生、短い助走で投げていいですか?」と尋ねてきた。全国大会に出場するような選手たちはスピーディーな助走から勢いをつけてやりを投げるが、競技開始から間もない北口は助走に対して苦手意識があった。
他方で4月末の試合でも短助走で53メートルの好記録を出していたため、北口にも松橋にも勝算があった。松橋は躊躇なくOKを出した。結果は52メートルで優勝。自ら考え判断する力が身についていた。
「53メートルは(当時)日本選手権の参加標準記録です。それも前もって自分で調べてそこまで投げようと思っていたと聞きました。びっくりしました。一般的に言うと恐らく指導者のほうが高い目標設定を選手に示して、そこに向かって頑張れって言いますよね。私もそれまでそうやってきました。でも、北口は2年生になったころから明らかに私の目標設定を超えるものを自分のなかで持っていた。だから私もやり方を変えました」
選手に対して何もしない。この、あえて教え込まずに見守るというコーチングスキルは、実は難易度が高い。
松橋のように教えるスキルがあれば教えたくなるのは当然のはず。ところが松橋は選手時代、やり投の経験はあったものの円盤投が専門だった。やり投については細かいことを教え切れない。よって、北口の創造性を壊さずに技術の土台をしっかりつくって「伸びしろを残して送り出す」のが自分の仕事だと考えた。専門外だったことが松橋の「教えたくなる欲求」にブレーキをかけてくれたのだ。
「料理にたとえるならば、素晴らしい素材にいろいろ手をかけると、かえって本来の味を失ってしまうことがありますよね。北口という素材を生かす方法をずっと考えていました」
専門外の種目で出会った大器の前で、松橋は指導者として謙虚にもなれた。北口の意見を聴き、「この子はあまり干渉されたくないのかもしれない」とこころのうちを受け止めようとした。本人の意見を吸い上げるために、対等な関係性を持つことに努めたのだ。
育成コーチの価値とは
高校2年生の2015年1月。北口は、2020東京五輪代表選手候補として期待される「ダイヤモンドアスリート」に選出され、高校3年の5月に神奈川県川崎市で行われる「セイコーゴールデングランプリ」の出場権を得た。海外の選手と初めて試合をした。
「海外、日本の選手とも全員、北口よりも格上。すごい選手と競うのだから、きっと緊張して満足に自分の力は出せないだろう」と松橋は考えていた。どう慰めようかと案じていたくらいだ。ところが、北口は自己ベストを出し7位入賞を果たした。
試合後「どうだった?」と尋ねたら「楽しくてしょうがなかった!」と弾ける笑顔で報告してくれた。日本だと自分が飛び抜けて大きいため、勝って当然のようなプレッシャーがあったが、外国勢と戦うと皆自分と同じような体格なので違和感がなかったという。
「外国勢と試合したほうがリラックスできたということです。ほかの日本選手が気後れしたのか記録が伸びなかったなかで、すごいことだと感心しました」
そう話す松橋がそのとき思い出したのは、その数か月前の春休みに参加した高校トップ選手だけで行う選抜合宿だ。走る、跳ぶといった身体トレーニングをやると「場合によっては落ちこぼれだった」と松橋。多種多様なトレーニングを課せられると、細かな動きがなかなかうまくできなかった。
「そのあたりは当時まだ苦手そうでした。だからこそ、同じ体格の海外の人たちと一緒にトレーニングするほうがポジティブになれる。きっと彼女にとって一番いいんだろうなと。あとは性格も合っています。とにかく物怖じしませんから。外国に行ってやるほうが絶対いいと思っていました」
高校卒業後、大学に進んだ北口はチェコのコーチに指導を仰ぐため単身海を渡る。自らメールを出すなどして道を拓いた。海外で自分を高めるには、単に語学力をつければいいわけではない。自分を客観的に見る力をつけ、それをコーチに伝える力が必要不可欠だ。そして、それを引き出したのは、まぎれもなく松橋のコーチングに違いない。
「北口を育てたコーチ」
こう呼ばれることに、松橋は少なからず抵抗を感じるそうだ。
「育てたという感覚が私にはほとんどない。育てたのではなく、北口の才能をつぶさなかっただけ。そこは自分でも評価していいかもしれません」
入部前、陸上部においでよと誘ったものの、北口はなかなか首を縦に振らなかった。とにかく来るだけでいいからと誘って「一度やってみたら?」とやりを投げさせた。どう? と尋ねると「楽しかったです」とくしゃくしゃの笑顔が返ってきた。
松橋が粘り強く誘ったからこそ、北口という才能の扉が開いた。熱さと、自分を変える聡明さ。松橋の歩みが、育成コーチの価値を私たちに教えてくれる。
『𠮟らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』では、
第1章 雪国の無名校はなぜドラフトに一学年6人も送り出せたのか 「やる気が出る」環境をつくる
第2章 控え選手だった三笘薫はなぜ焦燥につぶされなかったのか 「対等な関係性」が人を伸ばす
第3章 不安に怯えていた柔道選手はなぜ五輪を連覇できたのか 「傾聴と問いかけるスキル」が成果を生む
第4章 河村勇輝はなぜミニバスからNBAまで成長し続けるのか 「好きのマインド」が伸びしろへ
第5章 6万人を教えた「少年サッカーの神様」はいかにスポーツを変えたか 「主体性の支援」こそ本当の厳しさ
という全5章の構成で、三笘薫、河村勇輝、北口榛花選手ら若くして世界で活躍するアスリートを育てたコーチ18人の人材育成術に迫ります。
著者
島沢優子(しまざわ・ゆうこ)
スポーツジャーナリスト。筑波大学卒業後、日刊スポーツ新聞社東京本社に勤務し、1998年よりフリー。スポーツと教育の現場を長く取材する。著書に『オシムの遺産(レガシー) 彼らに授けたもうひとつの言葉』(竹書房)、『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)など。