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【事例】認知症でゴミが捨てられない父親…“ゴミ屋敷”状態を改善し一人暮らしを続けられた理由とは?

「みんなの介護」ニュース

高木 亨

在宅介護では、要介護者に「できることは自分でやってもらって見守る」ことが大切だと言われます。とはいえ、こうした表現は抽象的で、どこまでができることなのかわかりづらく感じる方も多いようです。

「できることは自分でやってもらって見守る」ことを大切にしていくときに心がけたいことは以下の3点です。

生活を細分化してみる
リスクの最小化を図る
生活の補充・再構成してみる

今回の記事では、在宅介護の中でも特に認知症の方の場合「どこまでできることをしてもらって良いのか」を考える目安としていただければ幸いです。

ゴミ屋敷になってしまった意外な原因

認知症の方の介護でよく聞く「自立支援」ですが、いつまで一人暮らしをさせて良いのかについては、個々人のケースに大きく依存します。つまり、0か100かで決められるようなことではなく、明確な基準を設けられるわけではないのです。

とはいえ、危険を承知で放っておくのも生活上のリスクは大きくなります。一人暮らしが続けられるか否かという二択で判断するのではなく、まず現状で一人で暮らすうえで困難になっていることを生活を細分化して探してみると良いでしょう。

【事例】ゴミ屋敷になってしまった一人暮らし高齢者

私が経験した実際のケースで見てみましょう。Aさんの自宅はゴミ屋敷化してしまっており、民生委員の方に「一人暮らしはもう難しいのではないか」と指摘されました。

確かに足の踏み場もないほどのゴミが蓄えられて悪臭が充満し、地域でも問題視され始めていました。

AさんにはBさんという息子さんがいましたが、遠距離で暮らしているため頻繁には来れませんでした。Bさんは「何度ゴミ処理場に持って行ってもあっという間に元に戻るからもう施設に入れるほかないかも」と話していました。いわば「0か100」かの選択をしようとしていたのです。

地域包括支援センターに相談し、新たに支援を受けてケアマネージャーを中心に検証してみると、実は燃えるゴミと資源ゴミ、瓶や缶などは案外分けられていることが判明しました。ゴミを分けることやまとめることはかなりできていたわけです。

そこで「ゴミの分別は可能だが、それぞれ決められた日に出すことが難しくなったのではないか」という仮説が立てられました。そこを補うことでゴミ屋敷化の解消とまではいかなくても軽減はされるのではないかと考えられたわけです。

結論としては、Aさんは認知症の症状により曜日感覚が失われ、それぞれの種類のゴミを出す日がわからなくなり、ゴミがため込まれていただけでした。ヘルパーなどによる家事の支援や、ごみ捨て当日の朝に息子さんが「今日は〇〇のゴミを出す日だよ」と電話連絡することでゴミ屋敷からはほぼ脱することができました。

とてもうまくいったケースですので「認知症の症状によって何が損なわれたのか」をスムーズに見つけて補えることは稀かもしれません。しかし、基本的には「どこができていて・どこが損なわれたのか」を細分化してみると、案外できている部分はかなり多かったりします。

料理もトイレでも「補う」という視点が大切

料理ができなくなったというケースであっても、包丁さばきは問題なくできることがあります。問題となりやすいのは煮炊きの管理など「火の管理」です。

その点については「リスクの最小化」を図る必要があります。安全面を考えれば、簡単にIHなどに変更すればいい、と考えがちですが、認知症の方にとって新しい操作はむしろリスクが高くなります。リスクの高いものについてだけ対策を講じ、現状を「補う」ように生活の再構成を図るとうまくいく場合があります。

似たようなケースで、新しくなった炊飯ジャーがまったく使えず、鍋やフライパンは焦がして穴を開けてしまっていた方がいました。その方は、以前自宅で使われていたガス窯であればちゃんと炊けた、ということもありました。

このときは、米を炊くガス窯にだけホースをつないで置き、ガスコンロは形としてだけ残っている状態にしました。このケースも1日2回の配給食で温かい主菜と汁物だけ届けられ、あとは漬物や差入れなどで5年近く一人暮らしを続けることができました。

リスクをゼロにすることは難しいものですが、多くの場合で軽減することは可能です。できることはやってもらう、という視点では料理はかなり大きい部類となります。

もっと小さなことであっても細分化することは可能です。例えば「トイレさえもまともにできなくなった」というケースであっても、細分化すると、まだできていることがあることに気が付くことができます。

そうは言っても家族の視点では落ち着いて「まだできること」に気が付くのは難しいかもしれませんが、ケアマネージャーを代表とする専門職の視点を借りると「トイレに向かうことはできているか否か」「衣類を下げることはできるか否か」「便座に正しく座れるか否か」など、さらに細かい視点で、できていることを活かすプランを検討してくれます。

結果、普段過ごしているところからトイレが遠過ぎたために失敗するのか、衣類の上げ下げがうまくいかないのか、トイレの操作が上手くできないのか、さまざまな仮説を立てながら「どの点を補えば生活が成り立つか」を介護プランに盛り込んでくれるはずです。

リセットして再スタートは難しい

もう一点、できることとは異なりますが「生活していくうえでしなくて良いのにやっていること」「無駄にしか見えないのに続けている行為」をどこまでさせるか、という問題が必ず出てきます。

例えば、宗教的な作法や所作であったり、しなくても困らない箇所を掃除したり磨いたり、先に挙げたような使っていないガスコンロのガスの元栓を何度も確認したり…など、外から見れば意味がないように見えることが生活を細分化する過程で次々と見当たることでしょう。

結論から申し上げますと、こうした行為や所作で害が少ないことであれば可能な限りやらせてあげたほうが良いでしょう。こだわって続けている所作や動作はアイデンティティや趣味として捉え、見守っていくことが大切です。なぜなら、そうした行為を単純に禁じたり取り上げたりすると、かなりの確率で認知症の症状に悪影響を及ぼすからです。

認知症の方に限らず、高齢になればなるほど失われていくことが多くなります。所作や動作もまた自身の在り方や軌跡の中で続けてきた儀式のような意味合いがあったりします。当然リスクが大きい場合は「リスクの最小化」を図り、代替行為に置き換えたり動作の一部を削減したりする必要が出てきますが、時間や環境、周囲が許せる限り、そうしたことも見守ることをおすすめします。

家族側の生活に合わせてもらうなど、新しい生活様式に慣れてもらうことを絶対にすべきではない、とは申しませんが、認知症の方の場合はむしろリスクが大きくなります。

できていることを評価することなく、一人暮らしは危険だから家族と同居することにしたり、危ないから住宅改修してバリアフリーの環境にしただけで一件落着とはいかないものです。

私の知り得る限り、「家を引き払ってグループホームに入れたら認知症の症状が進行してすぐに出されてしまった」「オール電化にしたのに家事どころか一切何もしなくなってしまった」というケースもありました。

余計なことはすべて取り払って生活をリセットして再スタート、は若い場合には上手くいくことが多いのですが、高齢になり、認知症症状が多少なりともあったりするとリスクは極めて大きく高くなります。冒頭に挙げた「生活の細分化」「リスクの最小化」「生活の補充・再構成」を検討してみてからでも遅くはないでしょう。

「まだできていること」に目を向ける

もういよいよ何もできなくなった、そう結論付けられてしまっても介護職の専門家たちは「できていることを見守る」自立支援を最後まで追い続けます。

本来はすべて手伝ったほうが合理的です。しかし、「できていること」を取り上げてしまうのは、その方の人生を否定することにほかなりません。

まだ食事を自分でできている、まだ噛めている、まだ口から摂れている、まだのみ込めている、まだ自立呼吸ができている、まだ意思を伝えられる、まだ生きようと頑張っている…。

私たち介護従事者は「できていること」に目を向け、本人がもがき続けている限り、よりよい方法を模索し続けます。常に前向きに捉え続けるのは大変ですが、ご家族の皆様も「できなくなった」ことを嘆くだけでなく、「まだできていること」に目を向ける機会をお持ちいただければと思います。

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