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「そのままの君でいい」と言えなかったあのころの私へ 不登校の息子が25歳になった今ようやく分かったこと

コクリコ

「そのままの君でいい」と言えなかったあのころの私へ 不登校の息子が25歳になった今ようやく分かったこと

不登校の息子と迎えた卒業は、晴れやかな気持ちだけでは語れないものでした。これから先のことが見えず、不安に揺れながら過ごした日々を、親として迷い続けたあの頃の気持ちとともに振り返ります。

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コクリコママライターの一ノ瀬奈津です。

今から18年ほど前、小学2年生の春に不登校になった息子。

親子で試行錯誤したものの、結局、息子は、学校に戻れないまま小学校卒業の時期を迎えました。卒業式や進路、中学への不安。学年が上がるほど、親として考えなければならないことは増えていきました。

この記事では、不登校の子どもが小学校卒業を迎えるまでに、母親として何に悩み、どんな気持ちで日々を過ごしていたのかを振り返ります。

不登校の始まりは担任の先生の大きな声だった

「先生が怖い」

息子が学校を休み始めたのは、小学2年生の6月。きっかけは担任の先生の怒鳴り声でした。教室という逃げ場のない空間に響く大きな声は、感受性の強い彼にとって耐えがたいものだったようです。

不登校が始まると、担任の先生は何度も家を訪ねるようになりました。けれど息子にとって家庭訪問は、安心できる時間ではありません。

先生の車の音が聞こえると、顔色が変わり、階段を駆け上がって自室の布団に潜り込んでしまう。

それでも私は、「せっかく先生が来てくれたのだから、挨拶くらいしなさい」と言って、息子を無理に玄関まで連れ出すこともありました。

担任の先生に家庭訪問までしてもらっていることへの申し訳なさもあり、せめて挨拶くらいはさせなければと思っていたのです。

子どもの味方でいたい気持ちと、学校から「理解のある親」と思われたい気持ち。当時の私は、その間で揺れていました。

表向きは休むことを受け止めている母親のように振る舞っていましたが、心の奥では「早く学校に行けるようになってほしい。そうしたら私もラクになれるのに」と願っていました。

「そのうち行けるはず」という期待が外れていく

先生が来るたび、息子は布団に潜り込んで会おうとしませんでした。そんな姿を見るのがつらくて、家庭訪問の頻度を少し控えてもらえないかと学校に相談しました。

すると学校からは、「息子さんが元気にしているかどうかを定期的に確認させてほしい」と伝えられました。

そこで私は、「息子が登校できそうなときには学校へ連れて行きます」と約束したのです。ただ、車には乗れても、学校に着くと降りることができません。

結局、車の中から先生に挨拶だけして帰ることを繰り返すうちに、学校へ向かうこと自体が、息子にとっても私にとっても負担になっていきました。

最初は週に1度ほど学校に顔を出していましたが、次第に月に1〜2度ほどになっていったのです。学年が変わるたびに、「今年こそは」と始業式に送り出しますが、数日もすると、また通えなくなってしまう。その繰り返しでした。

私の母に息子のことを相談すると、「そのうち行けるようになるでしょ」「あまり気に病まないで。大丈夫よ」と励ましの言葉が返ってきました。

けれど当時の私には、その言葉を受け止める余裕がありませんでした。

「そのうちって、いつ? どうして大丈夫だと言い切れるの?」

行き場のない怒りを母にぶつけてしまい、あとで自己嫌悪に陥ることもありました。適応指導教室、フリースクール、不登校の子たちの集まりにも足を運びました。

けれど、どこへ行っても息子の気持ちは動かず、「ここなら」と思える場所は見つかりません。あるとき、学校で顔を合わせた先生が、息子の様子を気にかけて声をかけてくださいました。

ところが、そのとき何気なく言われた「お母さんの気持ちが子どもに伝わりますからね」という一言が、私の心を深くえぐったのです。

私だって穏やかでいたい。責めずにいたい。でも、できない。

息子が学校に戻れないのは、私のせいなのだろうか。私がダメだから、この子も苦しいのだろうか、と自分を追い詰め始めたのです。

この頃の私は、周りの人たちがみんな敵のように見えていました。私たちを心配するようなことを言うくせに、助けてはくれないじゃないか。もう誰のことも信じられないし、誰にも会いたくない。

外に出れば何かを言われ、誰かと会えば傷つく。私ははじめて家に閉じこもる息子の気持ちが少しだけわかった気がしたのです。

中学校に行けば、新しいスタートが切れるのか?

「そのうち終わるだろう」と思っていた不登校は、いつまでたっても終わらず。気づけば、息子は小学6年生になっていました。不登校の状況に気持ちが慣れたわけではありません。

けれど6年生になる頃には、「今日行けるか、行けないか」に一喜一憂する時期は過ぎ、次は卒業後をどうするかという不安が大きくなっていました。

私たちが住んでいる地域では、中学受験をする子は多くなく、多くの子が地域の公立中学校に進学します。「私立中学は校風が自由なところもあるらしい」と聞き、心が揺れました。

息子にとって、中学進学が人生を仕切り直すきっかけになるかもしれない。そんな期待を抱いたのです。

もらったプリントやドリルで自宅学習は続けていたものの、小学2年生以降、教室で勉強らしい勉強をしたことがない息子に、受験勉強ができるのだろうかという不安もありました。

それでも、進学のイメージだけでも持てたらと思い、「学校見学に行ってみない?」と声をかけてみました。けれど、息子はまったく関心を示しませんでした。新しいスタートになるかもしれないと期待していたぶん、その反応は私にこたえました。

つらいのは息子だとわかっていても、先のことを考えようとしているのが私ひとりのように感じて、苦しくなっていったのです。

「卒業式」 心からの「おめでとう」が言えない

最終的に、息子は地域の公立中学校へ進むことになりました。そして小学校に戻ることのないまま、卒業の日を迎えたのです。

卒業式当日、みんなと同じ式に出ることはできませんでした。学校からは「式典のあと、校長室で卒業式をしましょう」と配慮していただきましたが、その話を聞いたとき、私は咄嗟に「行きたくない」と思ってしまいました。

私たちのために時間を割いてくれることは、本当にありがたいこと。けれど同時に、校長室で息子がひとり卒業証書を受け取る姿を思い浮かべると、つらくてたまらなかったのです。

みんなと同じ卒業式には出られなかったこと。学校に気を遣わせてしまっていること。その現実を、あらためて突きつけられる気がしました。

ありがたい配慮だと頭ではわかっていても、その場に立つ気持ちにはなれませんでした。それでも、小学校の卒業式は一生に一度のこと。

このまま終わらせるのではなく、小学校生活の終わりを、本人なりに受け止める機会にしてほしい。そう考え、嫌がる息子をなんとか説得し、校長室での卒業式に出席しました。

心から息子の卒業を「おめでとう」と祝いたい。けれども、その言葉はついに言えませんでした。

「ちゃんと子育てができなかった」という情けなさのほうが勝っていたからです。「こんなお母さんでごめんなさい」という申し訳なさが、心の中に強く残っていたのです。

お子さんの不登校に悩むママたちへ 25歳の息子を見て思うこと

小学校の卒業から18年ほどが経った今、息子は25歳になりました。

当時は大人になれるのだろうかと心配していた息子。今は、飲食関係の仕事をしています。幼い頃は苦手だった人との関わりも、社会のなかで少しずつ経験を重ねてきました。

つい先日、息子がこんなことを言いました。

「結局さ、親にしてほしかったことってそんなに多くないんだよ。ただ『そのままのあなたでいいよ』って、いつも言われたかった」

もちろん、学校に通えるなら通えるに越したことはありませんし、必要に応じて学校や周囲の大人、専門機関の力を借りることも大切です。それでも今、学校に足が向かないお子さんを前に立ち尽くしている方に伝えたいことがあります。

子どもは止まっているように見える時間のなかでも、外からは見えにくいかたちで少しずつ育っているということです。

当時の私は、息子が学校に行けない現状を「そのままでいい」とはなかなか思えませんでした。過去の子育てを後悔し、自分を責めたことも何度もあります。

けれど今振り返ると、親もそのときの精一杯で関わり、子どももまた、そのときの精一杯で生きていたと感じるのです。

今回は小学校卒業までのことを振り返ってきましたが、中学校に入ってからも、親として悩みがなくなったわけではありません。

それでも今、あの頃を振り返って思うのです。もし戻れるなら、私は息子にまず「卒業おめでとう」と伝えたい。

教室に通えない日が続いても、学校のことを思うだけで苦しくなっても、息子は息子なりに小学校生活の終わりまでたどり着いていたのです。

あの頃の息子にいちばん必要だったのは、「頑張って学校に行こうね」ではなく、「学校に行けなくても、あなたはそのままで大丈夫だよ」という言葉だったのかもしれません。

文・一ノ瀬奈津

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