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日本のスパークリングワインの歴史

料理王国

日本のスパークリングワインの歴史

長引く不況にも負けず、順調に消費を伸ばし続けるスパークリングワイン市場。
不動の人気を獲得したスパークリングワインと日本人の出会いから現代まで、その流れと歩みを展望する。

第一章 〜幕開け〜

幕末動乱期から文明開化へ。日本人とスパークリングワインの出会い

日本人が初めてスパークリングワインと出会ったのは、江戸時代のこと。嘉永6(1853)年、アメリカ合衆国海軍所属の東インド艦隊艦船が、江戸湾浦賀に来航した。黒船来航として知られるこの出来事の折、旗艦サスケハナ号で浦賀に来航したペリー提督は、幕府の役人が異国船に乗り込んだ際、時の浦賀奉行香山栄左衛門らにフランス産シャンパーニュを振る舞ったという事実が文献に残されている。幕府側が大統領親書を受け取り、その回答を求めて翌年にペリーが再来した時の将軍への献上品にもまた、ワインやウイスキーのほかに、シャンパーニュが用意されていた。その後も、日本と外交使節との交流の席では、たびたびシャンパーニュが登場している。

続く明治時代、政府が推進する欧化政策を象徴する存在として、明治16(1883)年に落成した鹿鳴館の夜会では、すでに最高級のシャンパーニュが楽しまれていた。やがて、当時の華族たちから純国産のスパークリングワインを求める声が上がり、大正5(1916)年、帝国シャンパン株式会社が設立されたのである。大日本葡萄酒株式会社を前身とするこの会社の発足にあたり、出資者である華族たちはフランス人技師、F・クレマン・フックを起用し、最新の醸造設備を整えるなどして華々しいスタートをきったが、醸造の難しさを克服できず経営不振に陥り、大正10(1921)年にスパークリングワイン生産を中止。しかし、山梨県にあった帝国シャンパン株式会社の優れたブドウ畑は後に、赤玉ポートワインで成功を収めた鳥井信治郎に買い取られ、サントリー登美の丘ワイナリーに継承されて、今日に残っている。

日本の開国と時を同じくして伝わったスパークリングワインだが、一般の人々に普及するには相当な時間を要し、第二次世界大戦前後においても、一部の高級ホテルでわずかに扱われているのみだった。

ペリー提督・横浜上陸の図(横浜開港資料館蔵)

第二章 〜成長期〜

ブランドから個性、値ごろ感へ移行する 日本のスパークリング人気

日本でのスパークリングワインの歴史を辿ると、先駆的役割を果たしたのはシャンパーニュだが、一般的に飲まれるようになるのはまだずっと後のことであった。一気に知名度が上がったのは、1980年代後半から90年ごろにかけて、日本が空前の好景気に沸いたバブル期。モエ・エ・シャンドンの「ドン・ペリニヨン」を筆頭に、有名メゾンのプレステージ・シャンパーニュがラグジュアリーなお酒の象徴として、その名を知られるようになった。

バブル崩壊後もシャンパーニュの輸入量は順調な伸びを見せ、2000年ごろからはレコルタン・マニピュランのシャンパーニュが注目を集めるようになる。大手メゾンの多くが農家から購入したブドウと自社畑のブドウを使用するネゴシアン・マニピユランであるのに対し、レコルタン・マニピュランは自社畑のブドウのみからシャンパーニュを造る生産形態で、造り手ごとの個性が明確に表れやすいのが特徴だ。一般的には補助的な役割を果たすとされる品種、ピノ・ムニエを100パーセント使用したものや、ビオディナミ農法で栽培したブドウで造られるものなど、個性的なアイテムが続々と紹介された。さらに、有名メーカーに比べ、比較的手ごろな価格のものが多く、価格とクオリティのバランスも大きな魅力となった。しかし、一部の熱狂的なファンを持つ生産者のワインの価格高騰や、生産形態ばかりがブランド化した結果、現在ではこのブームはほぼ終息を迎えている。

こうしたなか、消費者はさらにコストパフォーマンスの高さに目を向けるようになる。日本人にとって、スパークリングワインは特別な日のための贅沢なお酒ではなく、日常的に楽しむお酒として定着したのである。スパークリングワ インという発泡性のワインを総称した名称ではなく、スペインのカヴァ、イタリアのフランチャコルタなど、独自の呼称での区別も徐々に浸透しつつある。

また、近年増加傾向にある、気軽にワインを楽しむことをコンセプトとしたワインバーやバルなどの業態も、スパークリング人気拡大に重要な役割を果たしているといえるだろう。手ごろな価格でクオリティの高いスパークリングを提供することは、店側の確かな目利きのセンスをアピールする絶好のチャンスとなるだけでなく、一般愛好家がさまざまな産地やブドウ品種のアイテムと出会い、その魅力に開眼する機会を増やしている。

第三章 〜そして未来〜

国産スパークリングの実力が開花。レベルアップへの道のり

大正時代から取り組みが始まっていた国産スパークリングワイン造りだが、クオリティの高さでファンを獲得し、脚光を浴びるアイテムが一挙に増えたのは、1980年代以降である。その背景にはまず、国産ワインの急速なレベルアップがある。海外でワイン醸造やブドウ栽培を学び、世界のレベルを知る生産者が増え、彼らは習得した技術を日本の気候風土に応用し、蓄積してきた経験で日本ワインの躍進を牽引してきた。こうしてスティルワインの醸造で確かな実力を付け、次なる目標として、より複雑な工程を経て生産されるスパークリングワイン醸造に意欲を持つワイナリーが近年増えている。

さらに、ブドウの栽培方法の研究も進められ、より質の高い原料を得られるようになっている。80年代から90年代にかけて、現在も日本のスパークリングを代表する存在として知られるワインが誕生してきたが、当時はまだ、ワイナリーが独自に醸造機器を輸入するなど、取り組み以前にも大きな壁があったという。しかし、2000年頃からは、国内でもこうした機器を手に入れやすくなってきた。醸造技術や栽培技術の向上は、ワイナリーの努力の賜物にほかならないが、醸造機器の充実も国産スパークリングのレベルアップを力強く後押ししているといえるだろう。

日本のスパークリングは、チャレンジ段階から高品質のワインを安定して生産する段階まで、30年余りで一気に駆け上がり、世界のスパークリングと競合できるレベルに達し始めたのである。海外と比較すると小規模な生産者が多い日本では大量生産が難しく、手にする機会が少ない人気アイテムも多いが、近年一部のワイナリーでは、醸造工程の効率化により、生産量アップへの期待感が高まる動きも見られる。自動収穫機や、ルミアージュ(瓶内二次発酵後、オリを瓶口に集める作業)にかかる時間を短縮する機械の導入などが、例として挙げられる。

近代日本の幕開けとともに、我国の歴史に登場したスパークリングは今、メイド・イン・ジャパン百花繚乱の時代へと続く、真の幕開けの時を迎えているのだ。

監修/遠藤誠
「日本ワインを愛する会」理事・事務局長。「日本輸入ワイン協会」事務局長。「国産ワインコンクール」、「ジャパンワインチャレンジ」審査員。「アカデミー・デュ・ヴァン」東京校講師。著書に『日本ワイナリーガイド』(新樹社)、共著に『シャンパーニュデータブック2010』(ワイン王国)、共訳に『地図で見る世界のワイン』(産調出版)などがある。

参考文献
上野晴朗著 『日本ワイン文化の源流』(サントリー博物館文庫)
山本博著 『シャンパンのすべて』(河出書房新社)


木村千夏=文・構成 取材協力/サントリーホールディングス 広報部

本記事は雑誌料理王国2010年6月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2010年6月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。

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