太平記のあらすじと、物語の掴みかた──安田登さんと読む『太平記』#3【別冊NHK100分de名著】
『太平記』の大まかな流れ──安田登さんによる『太平記』読み解き #3
なぜ、ある者は勝ち、ある者は敗けたのか──。
博覧強記の能楽師・安田登さんによる『別冊NHK100分de名著 集中講義 太平記』は、これまでの日常と新しい日常が重なり合う「あわい」の時代に、歴史の方程式を学ぶ素材として日本最大の軍記物語『太平記』を読み解きます。
「公」と「武」の「あわい」、鎌倉時代と室町時代の「あわい」に描かれた『太平記』は、私たちにどんなヒントを与えてくれるのでしょうか。
今回は『太平記』への入り口として、その読み解きの一部を抜粋して公開します。(第3回/全5回)
「公」と「武」のせめぎ合い
『太平記』全四十巻を三つの部に分けて、大まかな流れをつかんでおきましょう。おのおのの部は、対立するふたりの人物を巡って話が進んでいきます。
第一部(巻一~十二)では、鎌倉幕府が滅亡するまでの経緯と、後醍醐天皇による建武(けんむ)の新政が描かれます。対立するふたりは鎌倉幕府の執権・北条高時(たかとき)と、武家政権を打倒し天皇親政を目指す後醍醐天皇です。
続く第二部(巻十三~二十一)で軸となるのは、後醍醐天皇と足利尊氏(高氏)の対立です。かつては後醍醐天皇に味方して鎌倉幕府滅亡に大きな役割を果たした足利尊氏でしたが、いろいろあってついに対立。後醍醐天皇が京を逃れて吉野に南朝を開き、南北朝時代が始まります。そして、後醍醐天皇が崩御する。ここまでが第二部です。
続く第三部(巻二十二~四十)は全体の約半分を占めます。対立するのは足利尊氏と弟・直義(ただよし)。兄弟の対立の物語です。長く支え合ってきた兄弟に亀裂が走り、足利家の内紛が混迷を極めるなか、南北に分かれた朝廷を統一しようという動きも出始めます。そして、尊氏・直義兄弟の死を経て、尊氏の孫・義満(よしみつ)が室町幕府第三代将軍となるところで大団円を迎えます。
この三つの部を「公」と「武」という二つのキーワードで眺めてみることもできます。
第一部では「武」の象徴である鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇を中心とする「公」の世の中になります。しかし、その後醍醐天皇が第二部で姿を消し、「武」も「公」も終わった第三部に描かれるのは、「公」を巻き込みながら展開される「武」の内部における確執です。第三部では、将軍尊氏が「武」的な存在、政務を担った直義が「公」的な存在として対立し、最後に義満が公武の合体を果たすという構図になっています。
必ずしも武士だから「武」というわけではなく、「公」の中にも「武」的な存在が現れ、「武」の中にも「公」的な存在が現れます。『太平記』は、とにかく登場人物が多いうえ、敵が味方についたり、味方に寝返られたりと、人間関係も複雑極まりないのですが、各場面のキーマンがその局面において「公」的な存在なのか、あるいは「武」的な存在なのかを考えて読んでいくと、話の展開をつかむ助けになるでしょう。
本書『別冊 NHK100分de名著 集中講義 太平記』では、
第1講 『太平記』が描く「あわい」とは
第2講 時代に乗れる人、乗れない人
第3講 現世を動かすエネルギー
第4講 太平の世はいかに訪れるのか
補講 『太平記評判秘伝理尽鈔』を読む
という講義を通して、歴史を振り返ると見えてくる「波乱の時代で勝つための方程式」を、傑物たちの生きざまを分析しながら読み解きます。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 太平記 「歴史の方程式」を学べ』(安田登 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
※本書における『太平記』の引用(原文・現代語訳)は、水府明徳会彰考館蔵天正本を底本とする『新編日本古典文学全集』所収「太平記」(校注・訳=長谷川端、小学館)に拠ります。また、『太平記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』(編=武田友宏、角川ソフィア文庫)も参照しました。
著者
安田 登(やすだ・のぼる)
能楽師。1956年、千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。高校教師時代に能と出会う。ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行うかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を全国各地で開催。おもな著書に『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『すごい論語』(ミシマ社)、『学びのきほん 役に立つ古典』『学びのきほん 使える儒教』『別冊NHK100分de名著 集中講義 平家物語』(NHK出版)、『見えないものを探す旅 旅と能と古典』『魔法のほね』(亜紀書房)、『野の古典』(紀伊國屋書店)など多数。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。