#2 ハムレットは優柔不断?――河合祥一郎さんが読む、シェイクスピア『ハムレット』【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
東京大学大学院教授・河合祥一郎さんによる
シェイクスピア『ハムレット』読み解き #2
「優柔不断」な青年は、ある答えにたどり着く――。
父を殺された青年ハムレットは、なぜ復讐を先延ばしにするのか。「理性」と「感情」に引き裂かれる近代人の苦悩を描き出した、シェイクスピア悲劇の最高峰、『ハムレット』。
『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット』では、『ハムレット』を単なる「復讐劇」ではなく、存在の問題を追求する哲学的な作品として、シェイクスピア研究の第一人者・河合祥一郎さんが解説します。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします
(第2回/全6回)
ハムレットは優柔不断?
ハムレットと聞いて大抵の人がまず思い浮かべるのは、おそらく繊細で青白い、瘦せた青年の姿ではないでしょうか。なかなか実際に行動へと踏み出すことができず、ひとり物憂げに思い悩んでいる、アンニュイなイメージ──。
そうしたハムレットのイメージとして一般によく知られているのは、ローレンス・オリヴィエ製作・監督・主演のイギリス映画『ハムレット』(一九四八)でしょう。この映画の冒頭は象徴的で、「これは決断できない男の悲劇である」という、原作にはない、オリヴィエ自身の加えたナレーションから始まります。多くの人はこの有名な映画を見て、「ハムレットといえば決断できない男だよね」という誤解を最初から植え付けられてしまいます。ハムレットはなぜいつまでも、父の仇である王クローディアスを殺すという復讐を遅らせるのか? それは、彼自身の優柔不断な性格によるものである──そんな誤解を生むオリヴィエ版ハムレットは、いわばハムレットの“定型”となってしまいました。
このようなイメージは、十八世紀末から十九世紀前半に活躍したロマン派に由来します。オリヴィエのハムレットも、完全にロマン派の解釈に則っています。
ドイツの文豪ゲーテは、小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(一七九六)のなかで、ハムレットは「可憐な花を植えるための高価な壺」で、そこに花でなく樫の木が植えられてしまったために、壺が砕けてしまったのだ、という有名な比喩を用いました。つまり、ハムレットは復讐というとても果たせない大仕事を課せられてしまった繊細な青年である、というイメージを強く打ち出し、ロマン派に大きな影響を与えたのです。
実はゲーテの小説では、芝居でハムレット役を演じようとする主人公ヴィルヘルムは、戯曲を研究していくにつれ、ハムレットの体つきを「太っている」ともイメージしているのですが、オフィーリア役を演じる女性が、「それじゃ、ハムレットのイメージがすっかり狂っちゃう」「太ったハムレットなんてやめてちょうだい!」と叫びます。
その後、イギリス・ロマン派の知識人たちも、ゲーテのいう繊細な「壺」を華奢でかぼそい「花瓶」のイメージとして受け取り、やがてそこから心も体も脆弱な、瘦身のハムレット像が現れ、広がっていきます。ロマン派はハムレットを知性の象徴と見なし、その肉体性を消し去って、いわば首から上だけの存在にしてしまうのです。詩人コールリッジが「私にはハムレットのようなところがある」と述べて共感を呼んだように、行動力には欠けているが、知的なインテリというイメージをハムレットに投影したのでしょう。
知性が優れているために、深遠な瞑想にばかり耽ってしまい、行動しなければいけないと思いながらも行動できないでいる。フランス・ロマン派の文豪ヴィクトル・ユゴーもそれを、こんなふうに説明しています──「眠っているときに、追いかけられたり、逃げたりする悪夢を見たことはないだろうか。急ごうとするのだが、膝がこわばったり、腕が重い感じがしたり、手がどうにもしびれたりしてしまって動かないといった悪夢を? そんな悪夢をハムレットは目が覚めたまま経験するのだ」と。
また、十九世紀後半のロシア文学においても、内向的で閉塞的なハムレットのイメージは、“余計者”と呼ばれる無為なキャラクターのタイプに投影されていきます。一八六〇年にツルゲーネフは、猪突猛進に行動する者をドン・キホーテ型、分別はあるが思索に耽り行動しない者をハムレット型と分類しました。ドストエフスキーは、十七歳のとき、『ハムレット』に衝撃を受けたと書簡に記していますが、『罪と罰』(一八六六)の主人公ラスコーリニコフとハムレットの類似もしばしば指摘されるところです。それからまた、チェーホフの戯曲や短篇小説にも、無為な“ハムレット型”の人物がたびたび登場してきます。
青白い虚弱な哲学青年というロマン派のイメージから、ハムレット=マザコン説も生まれてきました。この説もかなりの広がりを見せましたが、それは精神分析の創始者フロイトに端を発します。
フロイトは『夢判断』(一九〇〇)のなかで、ハムレットが復讐を遅らせるという逡巡の謎は、やはりハムレットの性格に起因しているが、それはハムレットが“オイディプス・コンプレックス”の典型だからである、と考えました。オイディプス・コンプレックスとは、ソポクレスのギリシア悲劇『オイディプス王』に由来するもので、父を殺して母と一体になりたいという、少年の潜在的願望のことです。
あれほど母ガートルードに執拗に迫るのも、母と一体になりたいからであり、父殺しを自分の代わりにやってしまった叔父のクローディアスが王になり、母と一体になってしまったことで、自分の立場がなくなってしまった。だから叔父に対して憎悪と嫉妬を覚えるのである。しかし自分に成り代わって願望を実現した叔父を罰することは、すなわち自分自身を罰することになるために、叔父を殺すことができない、というわけです。
これはハムレットの心理に関するフロイト流の、興味深い見方です。しかしハムレットは父への尊敬の念を繰り返し口にしていますし、潜在的願望とはいえ、父を憎悪する感情があったとは、にわかには信じがたいのではないでしょうか。
そもそも、作品の謎をおしなべてハムレットという主人公の性格のせいにしてしまうこと自体、はたしてそれでよいのか? ということが問題です。
著者
河合祥一郎(かわい・しょういちろう)
東京大学大学院教授。専門はシェイクスピア、英米文学・演劇。東京大学文学部英文科卒業後、同大学院にて博士号、英ケンブリッジ大学にてPh.D.を取得。おもな著書に『ハムレットは太っていた!』(サントリー学芸賞、白水社)、『シェイクスピアの正体』(新潮文庫)ほか多数。シェイクスピア戯曲の新訳のほか、ルイス・キャロル、C・S・ルイスなどの作品を翻訳。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■『NHK「100分de名著」ブックス シェイクスピア ハムレット 悩みを乗り越えて悟りへ』(河合祥一郎著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビなどは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
*本書における『ハムレット』引用部分の日本語訳は、著者訳『新訳ハムレット』(角川文庫)によります。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2014年12月に放送された「ハムレット」のテキストを底本として加筆・修正し、新たにブックス特別章「ハムレットの哲学」、読書案内などを収載したものです。