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「私はおにぎりを作るために生まれてきた」71歳現役店主が語る人生観

「みんなの介護」ニュース

みんなの介護

東京・JR大塚駅近くに店を構える大人気の「おにぎりぼんご」。国内だけでなく海外からもお客さんが訪れる同店の名物店主が右近由美子さんだ。右近さんは、ご主人の祐さんが倒れてからの47年、お店を切り盛りし「日本一」とも言われるほどのおにぎり店に育ててきました。おにぎり作りに悩んだ10年間や、ご主人の介護とお店の両立、年齢を重ねたからできることへの思いを聞いた。

求められているのは“母のおにぎり”

みんなの介護 本日も多くの人が店の前に並んでいました。ぼんごさんに来る人は、新規の方だけではなく常連さんも多いとお聞きします。人気の秘訣を教えてください。

右近 みなさんおにぎりの味以上に、おにぎりに込められた思いを求めて、うちに来られている気がするんですよ。その思いとは、家族との思い出やお母さんのメッセージのようなもの。おにぎりは、作る人の思いを乗せられる“魔法の食べ物”だと思うのです。

それに、ぼんごのおにぎりの作り方にコツはありません。47年間、同じことをやり続けてきただけです。

―― 味以外のところで大切にされているものがあってのことなのですね。

右近 信頼性は大切にしています。お寿司もそうだけど、おにぎりって素手で握るものじゃないですか。安心して食べてもらえる信頼性がないと商売として成り立ちません。

そこでイメージしているのは、お母さんが握るおにぎりですね。多くの人にとってお母さんとは、100%の信頼関係があるじゃないですか。絶対自分に変なことはしないと思えます。

―― 私にとってもお母さんのおにぎりは特別なものです。「ここ一番」というときにも、頑張る気持ちにさせてくれます。右近さんは、どのような経緯でぼんごで働くようになったのですか?

右近 私は20歳になる数日前、最低限の荷物だけ持って家出するように上京してきました。父のしつけが厳格過ぎて、地元の新潟にいることが息苦しくなったからです。……ありがたいことに、どうにか住み込みで働ける喫茶店を見つけて、東京での生活が始まりました。

でも、東京で暮らすうちに新潟のお米のおいしさを恋しく思うようになったのです。そんなとき、同じ新潟出身の友人にオススメされて行ったのがぼんごでした。ぼんごのおにぎりを食べたとき、私が求めていた味に巡り合えたような思いになったのです。

そして、何度もお店に通ううちに店主だった主人と意気投合。27歳という年の差はあったものの結婚し、お皿洗いなどをしながら、お店を支える生活がスタートしました。

―― 運命的な出会いだったのですね……。当時の右近さん自身、心が満たされる味を求めておられたのを感じます。右近さんの思い出のおにぎりというのもありますか?

実家に帰省するとき、母が持たせてくれた筋子のおにぎりです。うちは経済的に余裕がなかったので、普段は筋子なんて食べさせてもらえません。そんななかでも、母は、奮発して筋子のおにぎりを握ってくれました。

そこには「頑張って仕事するんだよ」とか「みんなにかわいがってもらうんだよ」というメッセージが込められているように感じました。母のおにぎりに込められた“応援”は、私自身が頑張る力にもなりました。だから、お客さんに「お母さんのおにぎりみたい」と言っていただくと、うれしくなります。

―― おにぎりの具が筋子だったところにも、お母さまの思いがこもっていたのですね。

右近 そう思います。実は、私が母に出した手紙が実家にためてあったんです。昨年、実家を壊すことになったとき、妹がその手紙の束を私に送ってくれたのですが、手紙を見たときハッとしました。

―― なぜでしょうか?

右近 手紙に涙の跡があったから……。それを見たとき、母が私の手紙を読みながら涙を流していたんだと気づきました。

昔は、母が私のことを心配していると聞いても「そうなんだ」ぐらいにしか思っていませんでした。でも、今さらながら当時の母の思いを噛みしめて切なくなりました。

―― お母さまは、ずっと右近さんのことを案じておられたんですね。思えば、東京には、右近さんとお母さまのような関係の方がたくさんいると感じます。

東京は、進学や就職、単身赴任などで故郷から上京して来られた方が多いですよね。今まで家族と暮らしていたのに、急に一人で生活を始めると、家庭の味が恋しくなると思うのです。

私もそうでした。東京に来た頃、故郷の味を求めてさまざまな飲食店を放浪していました。だから、ぼんごで主人が握ったおにぎりを食べたとき、ほっとするような思いになったのです。

―― そのときに実感したおにぎりの魅力をお客さんに伝えているのですね。

右近 そうですね。私自身の経験からも、ぼんごでは、おにぎりに思いを込めることを何より大切にしています。「まな板一枚」のステージにデビューするまで、かなり修行を積むんです。たった一枚のお皿に、大切な出会いへの感謝やお客さんへのメッセージなど自分の思いをすべて込める。そのうえでお客さんに「どうぞ」と言ってお出しします。

―― レシピを公開しているのはなぜでしょうか。

だって、秘密はないですもの。「すごい自信」って言われるけど、料理って砂糖を先に入れるか醤油を先に入れるかで、まったく別モノになりますから。私がレシピを公開したからといって、即時に同じものを作れる人は誰もいません。

例えば、タラコであっても、そのときによってモノが違うから、別の味になるんですよ。スタッフには、調理の腕以上に、その味の違いを見極められるようになることが大事だと話しています。

オンリーワンのおにぎりができるまで

―― 右近さんがおにぎり作りを担当されるようになったのは、いつからですか?

右近 主人が倒れた翌日から私がおにぎり作りを任されました。見よう見まねで握り始めたので、決して上手と言えるものではありません。お客さんに文句を言われても当たり前。当時は文句しか言われないので、お客さんの顔が怖くて見られませんでした。

―― 今の右近さんからは、当時の状況が想像できないです。

右近 元気そうに見えるので、ずっと今の調子でやってきたように思われることもあります。でも、私が店を切り盛りするようになってからの10年は、毎日泣いていました。ぼんごに来てからの人生の9割は、努力と苦労しかないですよ。

つらい思いをしながら10年ほど続けたある日、「私って天才。これならいける」と思った瞬間があったんです。おにぎりの握り方やご飯の状態などがバッチリで、面白いようにおにぎりが握れると感じました。そのときから、お客さんの顔が見られるようになりましたね。

―― 10年間、おにぎりの味を改良し続けたということもあるのでしょうか。

右近 味というより技術でしょうね。それから信頼関係ができていったことも大きいです。常連さんばっかりなので、私のことを知ってもらえているじゃないですか。お客さんにとっても、「自分の好みを分かってくれる」と感じてもらえたのが大きいと思います。

私は経営者だから、一番大変だったときは時間を惜しまず無茶をしていました。朝4時に店に来て、準備をしてから仮眠。その後、店を開けて夜までおにぎりを作る。営業後は家でお風呂だけ入ってすぐ横になる。そしてまた店に来る……。そんな生活をずっと続けていました。座っているのは、行き帰りの自転車に乗っているときだけ。家に帰ったら玄関の入り口で倒れていることもありましたね。

―― ハードな状況でも、ずっと続けてこられたんですね。何が右近さんを突き動かしていたのでしょうか?

右近 待ってくれているお客さんがいたからです。だから、頭が痛くても、歯が痛くても、腰が痛くても店に来ました。どうしたら痛くないかと考え、工夫をしたうえで店に立つんです。すると気が付いたら治ってるんですよ。

忙しいってすごくありがたいことです。誰も来ない店だったらとっくに辞めちゃってました。

―― 誰かに必要とされていると感じたら、元気が湧いてくるものですよね。

右近 主人が生きていたときは、何の迷いもなく働くことができました。「お金を稼がないと主人の病院代が払えない」という大義名分があったから。でも、主人が亡くなってからは、店を続けるべきかどうか何年も考えました。そんなとき、いろいろな人と話をするなかで、私が進むべき道を教えられました。

印象に残っている出来事があります。ある男性のお客さんが、持ち帰りのおにぎりにも関わらず「おいしかったよ」って感想を伝えてくれたんです。「何時間も経ったおにぎりがおいしいって、お世辞ですよ」って言うと、「おにぎりが温かいかどうかじゃないんです。実家にいる母のおにぎりを思い出しちゃったから」って。

その言葉を聞いて、ハッとしました。「私は、おいしいおにぎりでナンバーワンを目指す必要なんかないんだ」って。なぜなら“母のおにぎり”を超えることはできないから。そう思ってからは、オンリーワンを目指してベストだと思うおにぎりを作り続けてきました。

―― お客さんの声が右近さんの力になっているということですね。

右近 そうですね。お客さんの声や笑顔が私のエネルギー源になっています。だから、47年続けてくることができました。

継続は力になります。20代では、どんなに頑張っても認められないこともある。でも、30代まで続けたら「頑張ってるね」と言われることが増えます。40代になったら「立派な仕事してますね」って。70代までひとつのことを続けたら、その道においては大きな信頼を得られると思うのです。だからそこまで続けないとダメですよ。今、私がおにぎりに関してウソついてもみんな信用してくれます。……もちろん冗談ですけどね(笑)。

家族やヘルパーさんの支えでお店を継続できた

―― ご主人が倒れてからは、お店の経営とともにご主人の介護が必要になりますよね。

右近 そうでした。主人は70代前半で肺炎になってから、あまりお店に出ていなかったんです。ある日、脳梗塞で倒れて半身不随になりました。

―― 半身不随になられてからもご自宅で介護を?

右近 ええ。自宅で過ごしていました。私は店があったので、主人の弟と、そのお嫁さんに主人をみてもらっていたんです。それだけでは回らないので、ヘルパーさんにも来てもらっていました。主人の弟も病気だったので、もしヘルパーさんがいなかったら立ちゆかなかったですね。特に、入浴や通院の付き添いなどは、助かりました。

―― ご主人の闘病期間はどのくらいでしたか?

右近 結構長かったですよ。倒れてから87歳で亡くなるまでの10年は闘病生活が続きました。最期は病院でしたけど、ありがたいことに、そばで見送ることができました。

―― 詳しくお聞きしてもいいですか?

右近 何だか急に病院に泊まりたくなった日があって、先生にお願いしたんです。「今日、泊まっていいですか?」って。そしたら「簡易ベッドで良ければ」と言って泊まらせてもらえることになりました。

その後、自宅でシャワーを浴びてから病院で仮眠していたときのことでした。急に看護師さんたちがバタバタし始めたのです。「どうしたんですか?」と聞いたら、主人の体調が急変したって……。私が驚いてあたふたしているうちに、主人は息を引き取りました。

それまでは、特に重体という感じでもなかったので突然のことでしたね。呼吸が苦しそうだったので、穏やかになった主人の顔を見ながら「楽になれたね」って声を掛けました。6月なのに肌寒い日だったのを覚えています。

当時は、私がいなくてもお店は回るようになっていたので、お葬式の日も、店は開けていたんです。主人も、お店がお客さんで賑わう様子をどこかで見ていて、喜んでくれたんじゃないかと思います。

食はいのちを支えるもの

―― 47年おにぎり作りを続けてきて、おにぎり作りへの思いはどのように変わりましたか?

右近 私は、おにぎりそのものではなく“食べる喜び”を広めたいと思っています。食は人を元気にし、命を支えるもの。どんな重い病気の方も「食べたい」という気持ちがあるうちは生きられます。実際、私の母は食べることを拒否してから、枯れるように亡くなりました。

―― たしかに、食べたいという意欲は、生きる意欲ともつながっているように感じます。

右近 今後、一粒飲めば食欲が満たされて栄養補給できる“エサ”ができるかもしれません。でも、私、エサじゃ嫌なんです。やっぱり食事は、身体だけじゃなく心も元気にすると思うから。以前はそうは思えなかったときもありますが、私は、おにぎり作りに誇りを持っています。なぜなら、生きるために必要な食という楽しみを提供することができるから。

以前お医者さんたちが集まった場で聞いたことがあるんです。「一番なりたくない病気は何ですか?」って。すると、全員が「糖尿病」と答えました。

―― ガンとかじゃないんですね。

右近 ガンは、早期発見できれば、多くのケースが治るようになりました。でも、糖尿病にかかってしまったら治らない。糖尿病によって食事が制限されたら、おいしいものを食べる楽しみを取られてしまいます。お医者さんたちは、さまざまな患者さんたちを診る中で、その辛さを実感されていたんですね。

―― まさに、食べることは”生きる力”なのですね。

年齢を重ねたからこそできること

―― 71歳の今も現役の右近さんに、年齢を重ねてからの働き方についての考えをお聞きしたいです。

右近 私は、自分がおにぎりを作るだけではなく、おにぎりの作り方を教えています。例えば、海外でおにぎり店を立ち上げる人に無料で教えたり、定期的におにぎり教室を開いたり……。

そのようにして若い人たちに関わっていると、お年寄りの智恵や経験が必要とされていることを肌身で感じます。だから、若い人がしたいことを「できる」に変えるお手伝いをするのが、私たち年寄りの役目じゃないかと思うのです。

今の時代は情報が溢れています。若い人に何かを聞くと、みんな何でも「知ってる」と答えます。でも、できるのかというと、必ずしもそうではない。

よくお年寄り仲間に言うんです。「もう私たちも教える年よ。出し惜しみしないで教えましょうよ」って。

自分のことでとどまっているお年寄りってすごく多い。みなさん、人に何かを与えることを放棄しちゃうんですもの。生きてる限りは他の人のために何かをする思いがないとダメだと思うのです。人に何かを与えようとしたら必要とされるんですよ。それは、特別なことじゃなくても、その人のできることでいいと思うのです。

―― そのように生きる方が増えると、社会にとっても大きな力になりそうですね。

右近 年を取らないと分からないことっていっぱいあります。身体は弱っていくけれども、経験値はどんどん育っていきますからね。それはもうみんなに残していくべき財産ですよ。だから、与えることをやめちゃいけないと思います。

私がおにぎり作りを教えるなかでのことを例にお話ししますね。 私は47年おにぎり作りを続けてきました。私が通ってきた道には、山があり、穴もありました。私はそれを経験したけど、若い人たちはこれから……。経験していないことだから、不安になるのは分かります。

でも、私はおにぎり作りの過程であえて試練を与えます。なぜかというと、私がそうだったように、穴に落ちるときはいつか必ずくる。でも、落ちたあとに張い上がる方法を知らないと、次に進むことはできない。その這い上がり方を教えつつ、そばで応援することが私にできることだと思うのです。

「あなたならできるよ」と言ってあげると、「とても元気が出る」と言われます。言葉に出して伝えることで喜ばれることっていっぱいあると思います。

―― 右近さんのように寄り添ってくれる人がいたら、とても心強いですね。

右近 私は、ずっとぼんごを守ってきましたが、年齢を重ねると徐々に自分の限界を感じるじゃないですか。だからこそ「自分が輝くのではなく輝く人をつくっていこう」と考えたのがこの3・4年ですね。

―― もし、ぼんごを辞めていたらどうなっていたと思いますか。

右近 想像がつかないけど、田舎に帰って、普通に年金生活してるんじゃないですか。

―― 今の方が幸せですか。

右近 幸せかどうか以上に、私は、おにぎりを作るために生まれてきた人だと思ってるんです。

―― これからも、元気でお店を続けていただきたいです。

右近 そうですね。私は150歳まで生きたいと思っています。そう言うと、最初みんな笑っていました。でも、今は誰も笑いません。150歳まで生きて、この世の中がどんどん変わっていくのを見たくないですか?それに、食の素晴らしさを伝え、お客さんの笑顔をこれからも見ていきたい。私が母からもらった愛を、お客さんに返していきたいと思っています。

撮影:宮本信義

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