魅力的なレトロな駅舎が語るかつての岩徳線の栄華!実は元「山陽本線」だった 西岩国駅へ行こう!
取材日:2025.9.1
text & photo:福島鷺栖
岩国から徳山方面に在来線で向かうとき、多くの人は山陽本線に乗車して、柳井経由の海側を行くでしょう。しかし、岩国~徳山間の移動にはもう一つの選択肢があります。それが、「岩徳線」です。岩国~徳山間をほぼ直線で結んでいるにも関わらず、単線非電化で今なお国鉄型のキハ40系が走るローカル線となっています。ですがこの岩徳線、ただのローカル線にあらず、実は全線開業当時は山陽本線に組み込まれ本線としての役割を果たしていました。今回は、そんな岩徳線の歴史を感じることができる駅、岩国駅から一つ隣の「西岩国駅」をご紹介したいと思います。
【写真】立派な駅舎とホームにかつての栄華あり!駅の詳しい雰囲気の写真はこちらから!
アーチを取り入れたデザインが特徴的な西岩国駅舎
■レトロな駅舎に栄華あり「西岩国駅」と「岩徳線」
岩徳線のホームは岩国駅構内でも端っこの1番線から発車します。ラッシュ時はキハ40系の2両、データイムは同系の単行が走るローカル線です。岩国駅を出るとしばらくは市街地を走り、トンネルを抜けるとすぐに西岩国駅に到着します。
西岩国駅は2面2線の交換駅ですが、ホームを見るとかつては2面3線の構内を備えた駅だったことが伺えます。なお、交換駅のためここで錦川鉄道の列車と交換を行うことも多いようです。
跨線橋から駅構内を見渡すとその広い構内にかつての栄華を見ることが出来る。
ホームから駅舎に入ると広い待合とシャンデリアに目が行きます。そして、駅舎の外に出ると三角屋根にアーチが印象的な駅舎が目に入ります。西岩国駅はなぜローカル線の無人駅には似つかないほど豪華な造りになっているのでしょうか。それは、実はこの駅が「岩国駅」として歩んだ歴史あったからなのです。
広い待合室と天井のシャンデリア。シャンデリアは戦後に復元されたもの。
各所にアーチを取り入れたデザインが印象的。
駅について話をする前に、岩徳線の歴史に触れていきたいと思います。岩徳線は1929(昭和4)年に麻里布駅(現在の岩国駅)から当時の街の中心地であった岩国駅(現在の西岩国駅)までが先行開業しました。この駅舎はその際に建てられ、錦帯橋観光などの玄関口としてふさわしいものが建てられました。そのため、駅舎には錦帯橋をモチーフとしたアーチが窓や入口に多用されたのです。1934(昭和9)年に岩徳線が全線開業し、直線的なルートをとる岩徳線が山陽本線として採用されました。そしてそれまでの山陽本線であった海側ルートは「柳井線」と名称を改めることになりました。しかし、1944(昭和19)年に山陽本線が複線化されることになると、鉄が不足していた戦時中ということもあり、工事が比較的容易な海側ルートが再び山陽本線となり、岩徳線は再びローカル線の位置付けとなりました。
ホーム有効長が長く、2面3線という広大な構内を誇り、また駅舎も岩国の玄関口にふさわしい近代的かつ華やかなものとなっていたのは山陽本線としての役割を果たしていた当時の名残なのです。現在は、無人駅となっており穏やかな時間が流れていますが、駅前の広いロータリースペースなどからも往時を栄華を感じることができます。ぜひ、岩国へ行く際は錦帯橋だけではなく西岩国駅にも訪れてみてください。登録有形文化財にも登録されている駅舎は一見の価値があります。
駅名版も昔ながらのフォントのものが残る。