いま、カントの著作に注目すべき理由とは――萱野稔人さんが読む、カント『永遠平和のために』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】
萱野稔人さんによる、カント『永遠平和のために』読み解き
戦争の原因は排除できるのか――。
戦争することが「人間の本性」であるとすれば、私たちはいかに平和を獲得しうるのでしょうか? 西洋近代最大の哲学者カントが著した『永遠平和のために』は、空虚な理想論にとどまることなく、現実的な課題として戦争の克服方法を考察した、平和論の古典です。
『NHK「100分de名著」ブックス カント 永遠平和のために』では、萱野稔人さんが、本書を争いの火種が消えない現代にあらためて読まれるべき一冊として解説します。
今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全6回)
哲学の視点から平和の可能性を考える(はじめに)
平和について考えるとき、人類がこれまでいかに戦争と根深い関係にあったのかという点を無視することはできません。
人類の歴史とは戦争の歴史であったといっても過言ではないでしょう。事実、歴史を動かした重要な出来事の多くは戦争でした。
いまや多くの文化人類学者の研究によって、文明化されていない未開社会にも戦争があることが知られています。もちろんその戦争は私たちがイメージするような「国家」対「国家」の戦争ではありません。むしろその事実は、国家がない社会でも戦争は起こりうるということ、文明社会を捨てて原始社会に戻ったとしても戦争はなくならないということ、を示唆しています。
戦争はまた、人類にとって社会発展のモーターでもありました。人類は戦争で負けないように、さまざまな技術を開発したり、さまざまな社会制度を整備したりしてきたからです。軍事的な目的のために開発された技術が民間むけへと転用されて、社会のあり方を大きく変えた、という事例も少なくありません。身近なところで言えばインターネットがそうですね。
このように人類と戦争のあいだには根深い関係があります。逆説的な言い方をすれば、人類の存在そのものがその存在の否定を旨とする戦争のもとでなりたってきたのです。
もちろん人類は戦争を遂行することにのみ関心を注いできたわけではありません。戦争を防止し、平和を実現するためのさまざまな試みも同時になされてきました。
たとえば一六四八年に締結されたウェストファリア条約は、ヨーロッパで三十年にわたって繰り広げられてきた、カトリックとプロテスタントのあいだの宗教戦争に終止符を打つとともに、締結国のあいだで内政干渉を禁止することで、戦争を法(ルール)のもとで制御していこうとする試みでした。
また、一九二〇年に発足した国際連盟は、ヨーロッパを中心に大きな戦(せん)禍(か)をもたらした第一次世界大戦への反省から、国際平和を維持するために設立された国際機構でした。
しかし、こうした試みにもかかわらず、人類は戦争を完全になくすことには成功していません。ウェストファリア条約はその後一〇〇年以上にわたって繰り広げられたイギリスとフランスのあいだの一連の戦争を防止できませんでした。国際連盟は第二次世界大戦を食い止めることができませんでした。その失敗はあたかも、人間存在と戦争が根本的には切り離せないものであることを証明しているかのようです。
とはいえ、それでもなお私たちは、人類社会から戦争をなくし、恒久的な平和を実現するための試みをあきらめるわけにはいきません。では、そのための糸口を私たちはどこにみいだしたらいいのでしょうか。
イマヌエル・カントが書いた『永遠平和のために』という書物に私たちが注目する理由がここにあります。
本書では、このカントの著作を読み解きながら、人類社会から戦争を恒久的になくしていくためには何をなすべきなのか、そもそも人類社会から戦争をなくすことは可能なのか、といった問題を考えていきたいと思います。
イマヌエル・カントは十八世紀のヨーロッパを代表するドイツの哲学者です。カントの著作としては『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』がとりわけ有名です。この三冊を「三批判書」と呼ぶこともあります。
ただ、正直なところ、この三批判書の内容はあまりに抽象的かつ難解で、専門家でさえ手を焼いてしまうほどのものです。十分な予備知識がないままこれらの著作を読もうとしても、おそらくほとんどの人が最初の数ページを読んだだけで挫折してしまうでしょう。
これに対して、本書で取り上げる『永遠平和のために』は、抽象的な問題ではなく現実の社会における具体的な問題を論じていますので、三批判書に比べるとかなり読みやすい内容となっています。
分量的にもコンパクトです。文庫本の日本語訳だと一〇〇ページを少しこえるほどでしょうか。もちろんその内容をきちんと理解しようとすれば、読むのにそれなりの時間がかかってしまうかもしれません。が、それでもカントの著作のなかではもっとも手軽に読める著作の一つです。
現在、『永遠平和のために』には数種類の日本語訳が出版されています。本書では、光文社古典新訳文庫の『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(中山元訳)に収録された日本語訳をもちいたいと思います。
『永遠平和のために』の原著が出版されたのは一七九五年です。いまから二〇〇年以上も前のことです。そう聞くと、読者のなかには「そんな昔の古くさい哲学書にいまさら読む価値なんてあるの?」と感じる人もいるかもしれません。
しかし、この原著が出版されたのはフランス革命の直後、つまりヨーロッパにおいて近代的な国民国家の原型がつくられつつあった時代であり、また現代へとつうじる国際関係のあり方が姿をあらわしつつあった時代です。それゆえ、この著作においては現代の国家や国際関係の問題が、より直(ちよく)截(せつ)的なかたちで論じられています。ものごとの根本にまでさかのぼって戦争と平和の問題を考えるためには、むしろこの著作は格好の素材なのです。
さらに言えば、『永遠平和のために』にはカント哲学のエッセンスが随所にちりばめられています。とりわけ、カントの道徳哲学や政治哲学の核心といっていい考えが平易な表現のもとで展開されています。
これはカントの哲学を学ぶうえで非常に大きなメリットです。
というのも、カントの哲学には固有の用語がたくさん使われているからです。これまで多くの人がそのカント固有の用語をまえにとまどい、そしてつまずいてきました。しかし『永遠平和のために』にはそうしたカント固有の用語がほとんどでてきません。そのため私たちはこの著作によってカント固有の用語にとまどうことなくカント哲学の根本的な考えをたどることができるのです。まさに『永遠平和のために』はカント哲学の入門としてもぴったりなのです。
本題に入るまえに、あらかじめ断っておきたいことがあります。『永遠平和のために』はそのタイトルから予想されるような理想論が書かれている本ではまったくありません。むしろそのタイトルから予想される内容とは正反対の本です。理想論が結局は「人びとが道徳意識をより高めれば問題は解決する」という議論に帰着するのだとしたら、このカントの著作は逆に「人びとが決して高い道徳意識をもたなくても問題解決の可能性はあるのか」という問題意識に貫かれています。
別の言い方をするなら、カントはこの著作のなかで「人間の本質とは何か」「国家や法をなりたたせている原理とは何か」といった問題にまで踏み込んだうえで、理論的に永遠平和を可能にする条件を取り出そうとしています。
哲学の視点から戦争や平和を考えると、それまで明確には気づくことのなかった「人間や社会の本質」がみえてきます。そこにこそ、カントの『永遠平和のために』を読む本当の意味があります。
著者
萱野稔人(かやの・としひと)
津田塾大学総合政策学部教授・学部長。専門は政治哲学、社会理論。パリ第10大学大学院哲学科博士課程修了。博士(哲学)。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)、『死刑 その哲学的考察』(ちくま新書)、『リベラリズムの終わり』(幻冬舎新書)など。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。
■100分de名著ブックス 『カント 永遠平和のために~悪を克服する哲学 』(萱野稔人著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。
*本書は、「NHK100分de名著」において、2016年8月に放送された「カント『永遠平和のために』」のテキストを底本として大幅に加筆・修正し、読書案内などを収載したものです。なおカント『永遠平和のために』の引用は、『永遠平和のために/啓蒙とは何か他3編』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、二〇〇六年)によります。
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