僕の人生はいつも「今」が始まり~矢柳剛さん
ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。今回のゲストは矢柳剛さんでした。
矢柳剛さん
1933年生まれ、北海道帯広市出身の芸術家。大学中退後ブラジルのサンパウロに渡り、サンパウロ・ビエンナーレ、フレッヒェン国際版画ビエンナーレなど世界を舞台に活動中。大胆な色面構成と無駄な陰影を配した鮮烈な彩色で、ユーモアを盛り込みながら時代の世相をとらえる作風で、芸術形態は絵画・版画・モザイク画・ステンドグラスからテキスタイル、ファッション・デザインまで多岐にわたります。
JK:先生は穏やかだけど、剛=GOっていうとなんか強い感じしますね。
矢柳:本当は日本では「つよし」というんですよ。でもパリに行った時、画廊のマダムが「ツヨシはフランス語で言いにくいから、GOと言った方がいい」って言うんで、それで変えたんです。
JK:GOの方が似合ってますよ!
出水:帯広市のご出身ですが、小さいころの風景で何が思い浮かびますか?
矢柳:私の両親は牧場をやってましたから、動物と自然環境の中で育ってるんです。田舎ですから、馬、牛、ニワトリ、ウサギ、いろいろ飼ってるわけですよ。そうすると動物と語り合うわけです。言葉はないけれど、僕が話すと動物もわかるんです。だから僕の幼少期は動物に逆に育てられたと言っても過言じゃないんじゃないかなあ。
JK:でも子どもの頃だと動物って怖くないですか?
矢柳:動物はわかってるんですよ、この人間はいい人間か、悪い人間か。だから馬に蹴られたことは全然ないです。ニワトリだって毎朝餌をやりますから、ちゃんと知ってるんです。この人間はエサをくれるって分かってる。実際にそういう環境で育たないと分からない。
JK:大学は東京ですか?
矢柳:大学は星薬科大学に行って、中退したんです。薬剤師になっても、僕の性格にはあってないなあと思ったんです。それで日曜日にルオーやゴッホの展覧会を見に行って、「すごい絵を描くなあ、僕も大学を中退して絵描きになる!」って思ったんです。親父に言ったら、びっくりして東京に飛び出してきて「バカモノ!」って言われて。僕の買った美術全集を北海道に持って帰ってしまった。それで僕は独学するわけです。どんなに貧乏しても絶対絵描きになる!って。
出水:心を決めたわけですね。1957年にはブラジルに渡っていますが、ブラジルだ!とピンときたきっかけはあったんですか?
矢柳:考古学に凝ってたから、移民の歴史とか、ブラジルやペルーのインカ帝国、マヤ文明、そういうものに刺激を受けていたので、地球の裏側からそういうのを見てみようと。その時は画家になる決意はしてました。何とかして勉強したいなと。勉強することはたくさんありましたね。自分がやりたいと思ったら、そこに前を向いて努力する。
JK:先生の絵って、まさにそのまんまですね!
矢柳:アカデミックに習ってないので、世界の名画はたくさん見ましたよ。パリのルーブルからベルギー、オランダの美術館で見て、アーティストの絵から学ぶんです。それから自分の絵を風呂敷に包んでギャラリーを回る。パリに行った時もそうです、どこの会派にも所属してませんから、「いかがでしょう」って見てもらうんです。
矢柳:フランスがすごいのは、「これはうちの画廊には合わない、こういう画廊で見てもらえ」ってちゃんと紹介してくれる。日本では絶対そういうことはない。そこからフランスでは開けていった。「1年もしないうちに、どうしてフランスのギャラリーで展示してもらったのか」とみんな聞くんですよ。だから「俺は風呂敷持って店に行った」って。そういうことしてもフランスは侮辱しない。かえって尊敬するんです。
JK:ファッションもそうですよ、みんなそうだった。それが当たり前なんですよね! 先生の人生でマサカ、これは!っていうのは?
矢柳:僕はブラジルで夢中になって絵を描いていたんですが、日本大使館に誰の紹介もなく飛び込んで行って、「絵描きなんだけど、ブラジル近代美術館で個展をやりたい。だから紹介してくれないか」って言ったんですよ。ふつう官僚はそんなのOKしないですよ。そしたら大使館が「いいですよ、紹介しましょう」と。そしたら美術館長が見に来ることになって、いざ見に来たら「ぜひうちで展覧会をやってくれ」って。マサカですよ!
JK:あっという間に! 言ってみるもんですね。
矢柳:そこでマサカ、マサカがたくさん起きるんですよ! ブラジルに住んでる有名な芸術家がびっくりするんですよ、「俺が近代美術館でやってないのに、なんでお前ができたんだ」って! それで話をしたら、みんなキョトンとして。オープニングパーティには財界から政治家から大勢招待されて、その1人がブラジルいちの大金持ちのマタラッツォ。イタリア人の移民で、路上でバラを売って大金持ちになった人が来たんです。そのマタラッツォが「面白い」といって絵を買ってくれた。それで僕は助かったんです!
JK:すごい相手ですね!
矢柳:ブラジル社会の文化にすごい貢献した人で、サンパウロにビエンナーレを持ってきたのもマタラッツォ。日本にはこういう人いないんですよ。角度が違う。そういう風にいろいろな人が上流階級を作っているんです。パリでもそうですよ、そういうマサカ、マサカがたくさんあった。パリに住んでるアーティストから「矢柳、どうしてあのマダムと会ったんだ?」って。僕はフランス語もできないから、全部ぶっつけ本番。
JK:みんなそうかもしれない。アーティストはみんな見せるものを持ってるから。
矢柳:でも案外、日本人はそれをやらないんですよ。フランスのナントという文化的な港町でも、ギャラリーに飛び込んで、マサカ、マサカ。ギャラリーのマダムが自宅に招待してくれたり、食事したり・・・フランス人は招待したら家じゅうを見せてくれるんだけど、「シャワーのところに絵をかけたいんだけど、描けないか」って。そこでヒントを得たのがタイル絵です。そういうマサカ、マサカが僕の人生で、今でも続いてる。環境が無限に広がってるんですよ。そういう自由さっていうかな、それが今日の僕をハッピーにしてる。僕の人生のすべては「今」が始まりなんです。
矢柳:ちなみに今描いているのは大谷翔平です。彼はアーティストだと思ったんです。バットの振り方にしても、姿勢にしても、角度にしても。それで彼と愛犬の絵を100号のキャンパスに描いています。
JK:それは次の展覧会に出しますか?
矢柳:出そうと思って、今オーナーに言ってるんです。やるとすれば、来年の軽井沢ニューアートミュージアムになると思います。
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)