海賊キッドが3年間吊るされた晒し刑「ジベット」なぜ罪人は死後も晒されたのか?
人類はこれまで、犯罪者を罰するために多種多様な器具を生み出してきた。
その中には罪人の命を奪うだけではなく、苦痛や恐怖、絶望や屈辱を与えるために開発されたものも多くある。
「ジベット(Gibbet、ギベット・ジビットとも)」は、かつてイギリスなどで用いられた、罪人の遺体を鎖や鉄枠で吊るして晒すための刑罰用拘束具だ。
晒し刑に使う拘束具は世界中にあったが、ジベットはその醜悪な形状ゆえに、特に異質な空気を漂わせる代物である。
ジベットの恐ろしさは、命を奪った後にも終わらなかった点にある。罪人は絞首刑などで処刑された後も、遺体を鎖や鉄枠に収められ、風雨にさらされながら長期間放置された。
つまりジベットは「死後も許されなかった晒し刑」でもあった。
歴史に名を残したスコットランドの大海賊ウィリアム・キッドは、死後にジベットに入れられて、テムズ川の岸に吊るされ数年間放置されたという。
今回は、イギリスで生まれた絶望の檻「ジベット」について、詳しく解説していきたい。
見せしめのために使われたジベット
ジベットは、吊り籠という拷問器具に原型を持つ。
吊り籠は鳥かごを人間1人が入れるサイズに大きくしたような鉄製の籠で、イギリスでは中世頃から拷問と見せしめのために使われていた。
吊り籠に閉じ込められた罪人は高所から吊るされ、飢えや渇きに苦しみ暑さ寒さに晒され、時には衰弱死することもあった。
この吊り籠を人間の体に沿うようにつくり、より身体の自由を奪う形に発展した拘束具こそがジベットだ。
ジベットは主に反逆者や強盗、殺人犯、山賊や海賊など、重い犯罪を犯した人物に適用された。
ジベットに生きたまま入れられると、罪人は一切の身動きを封じられ、そのまま交差点や水路のそばに建てられた巨大な柱に吊るされる。高所から吊るされても首が締まるわけではないので、すぐには絶命せず長い時間苦しんだ。
1650年頃からは罪人を生きたまま吊るすことが禁止になり、絞首刑など別の方法で処刑された後に吊るすようになった。
ジベットが設置されたのは衆目が集まりやすい公道や交差点、水路の近辺が多かった。
強烈な腐臭を放つため、周辺に住む人々は自分の家がジベットの風下になると皆窓と扉を閉ざして、耐えがたい臭いの侵入を防いでいたという。
ジベットを巡る賛否両論
重犯罪人に適用される処刑および晒し刑は、そう頻繁に行われていたわけではない。しかし一度刑が執行されればそのインパクトは強烈で、多大なる反響を生んだ。
君主が不人気であった時代には、反逆罪で処刑された人物の遺体の一部が民衆によって「聖遺物」として持ち去られ、反権力運動の象徴として崇拝されることもあったという。
ジベットには、そのような行為を防ぎ、罪人の遺体を人々から遠ざける役目もあった。
しかしジベットは、視覚的な不快感が強烈な上に、遺体から落ちる体液などは公衆衛生的にもよくなかった。
特に敬虔なキリスト教徒の中には、犯罪者への刑罰は死刑までで十分であり、死後の遺体を晒し続けるべきではないと考える者もいた。
17世紀のイギリスの作家で、政治家や官僚でもあったサミュエル・ピープスも、ジベットを用いた晒し刑に嫌悪感を示している。
しかしその一方で、世間を騒がせた犯罪者が苦しむ姿や、死してなお衆目に晒され屈辱的な姿に変化していく様子は、民衆に恐怖を与えると同時に一種の優越感を与えてもいたのだ。
キャプテン・キッドの処刑
ジベットで晒された罪人の中で最も有名な人物が、スコットランド生まれの海賊船船長ウィリアム・キッド、通称キャプテンキッドである。
彼の遺体はジベットに詰め込まれ、海賊になりたいと夢見る者に対する警告として、テムズ川北岸の絞首台に吊り下げられた。
彼はイギリスの有力貴族たちをパトロンにしていたことで知られるが、政治家や海軍高官、貴族たちの権力闘争に巻き込まれた挙句にパトロンたちに見捨てられ、船員殺害と海賊行為の罪で1701年5月23日に処刑された。
キッドは1度目の絞首では縄が切れたため、改めて吊るされて絶命した。
その後、遺体には防腐処理としてタールが塗られ、ジベットに入れられて晒されたのである。
当時のイギリスでは海賊行為で処刑された罪人の遺体は、少なくとも満潮によって潮が3回頭上を通過するまで、絞首台から降ろされることはなかった。
しかし海賊の中でも悪名高かったキッドは、3度の水没では済まされず、3年間に渡って吊り下げられた。
テムズ川付近を通る船乗りたちは、変り果てていく哀れなキッドの姿を見てどんな感情を抱いたのだろうか、それは想像するしかない。
キッドのように死後も晒し者になった罪人たちは一種のランドマークと化し、その地は観光名所にもなった。
罪人の遺体が降ろされた後は、吊り下げられていた柱が削られタバコパイプなどの土産物にされることもあったという。
廃止されたジベット
ジベットによる晒し刑は1740年代ごろに目立つようになり、殺人法が施行された1752年から1832年にかけては、134名の罪人が処刑後に鎖で吊るされたとされる。
1832年8月、治安判事襲撃の罪で死刑となった炭鉱労働者ウィリアム・ジョブリングの晒し刑以後、イギリス本国での使用は廃止へ向かった。
イギリス植民地での使用も1837年の事例を最後に廃止され、罪人が往来に吊るされっぱなしになることはなくなった。
1969年にはイギリスの死刑制度が廃止され、ジベットが吊るされたさらし柱は歴史を物語るモニュメントとなり、イギリスやアメリカ各地の博物館等で展示物とされている。
参考文献
高平 鳴海 (著), 福地 貴子 (イラスト)『図解 拷問と処刑の歴史』
文 / 北森詩乃 校正 / 草の実堂編集部