宮益坂に4年ほど通勤していました【駅ぶら】06京王電鉄372 井の頭線03
※2024年1月撮影
トップ画像は「渋谷スクランブル交差点」前の駅前広場。世界的にも有名(?)な「忠犬ハチ公像」と記念撮影をしている訪日外国人らしき女性。
凍てつく様な真冬のウィークデイの昼間、驚く程薄着の訪日外国人観光客が渋谷の街にあふれ、ハチ公と記念撮影するために長い行列を作っているというのは、インター・ネット(SNS)普及以前の時代には想像もできなかった光景です。
そしてこちらも観光客が必ず写真を撮る名所「渋谷スクランブル交差点」。
※2024年1月撮影
筆者にとっての渋谷は、中学時代に輸入レコードを見るために(なかなか買えませんでした)道玄坂の「ヤマハ」に通ったのが最初。渋谷に「パルコ」ができたのは高校3年生(1973年)の時。それまでは池袋の「パルコ」(1969年開業)に行きました。「詩歌集」だけを扱う「ポエムパロール」という書店に通ったのです。(笑)
「東急ハンズ(現・ハンズ)」(1978年)と「109」(1979年)の開業は、大学生時代。そしてよく通ったのは輸入レコード(主に米盤)販売店の「タワーレコード」が1981年に「東急ハンズ(現・ハンズ)」の近くにオープンしてからでした。当時アナログLPの国内盤は、2800円。日本語の解説など不要でしたから筆者は少しでも安い米盤でロックやジャズを聴いていました。
奥に「109」も見えます。とにかく、50年近くこの交差点を渡ってきましたが、1990年代後半に大型ビジョンがイキナリ増えた頃は、その大音響がお互いに干渉し合ってヘッドフォンの音楽が聴き取りにくい程でした。
※2024年1月撮影
現在も4~5ヵ所の大型ビジョンが稼働していましたが、流石に規制がかかったのか音量は昔に比べればかなり控え目でした。
※2024年1月撮影
交差点を渡って「渋谷駅」を見ています。左にビルの様に見えるのが「井の頭線」改札口から伸びている高架の通路。「JR駅」は目下工事中です。
※2024年1月撮影
「JR」のガード下をくぐって「宮益坂(みやますざか)」の方に行きます。
※2024年1月撮影
「JR線」の高架をくぐると昔からある「のんべい横丁」。でも気のせいか道が広くなっています。
※2024年1月撮影
昔はこんな広い道はなかった・・・。かつては「渋谷区立宮下公園」が駐車場の上に作られていましたが、今は超モダンな商業施設の屋上が公園になっています。旧式な筆者には近寄る気が起きません。愚弟から彼が勤めるゼネコンの設計・施工で優れたデザインと構造設計だとは聞いていますが。
※2024年1月撮影
「東京メトロ銀座線」が見えます。少しだけ浅草に近くなった様です。でも昔は「渋谷駅」を出ると明治通りを越えて東急文化会館の横に、トンネルに入るまでビルの裏や「ロシア料理店」など見えていたことを懐かしく思い出します。
※2024年1月撮影
「明治通り」を渡って「宮益坂」を上ります。
※2024年1月撮影
1984年(昭和59年)に「青山一丁目」にあった制作会社の事務所が、1990年(平成2年)頃に「宮益坂」の郵便局の裏あたりの免震構造ビルに移転していて、名古屋転勤から戻った筆者は、この渋谷「宮益坂」が通勤先になりました。ちょうど「Jリーグ」がスタートした頃で試合中継などをしていた関係で社長室に「Jリーグ発足記念パネル」や「公式サッカーボール」が飾ってありました。
それで筆者は、1996年(平成8年)に転職するまで渋谷に通勤していたのです。(厳密には最後の1年半は関連会社に出向したので渋谷通勤は4年ほどでした)
「明治通り」を渡って「渋谷駅」方面を見ています。筆者が毎日ウロウロしていた1990年代とは風景が激変しています。右端の家電量販店はそのままありますが。(笑)
※2024年1月撮影
次回は「宮益坂」を上ります。
(写真・文/住田至朗)
※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。
※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。
※参照資料
・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)
・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他
下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました
・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)
・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)