幕末に敵味方を問わず崇敬された「楠公さん」。神戸『湊川神社』の歴史と見どころを紹介 神戸市
幕末、日本の行く末をめぐって対立していた幕府方と倒幕派。実は、その双方が足を運び、手を合わせた場所が神戸にあります。それが現在の『湊川神社』(神戸市中央区)です。
当時は神社として整備されておらず、楠木正成=楠公(なんこう)の廟があり、倒幕派・佐幕派を問わず、多くの人が「国を思う楠公」を参拝に訪れたといいます。どうしてこのような不思議な状況だったのか?神社の宝物殿にある楠木正成公の絵巻とともに紹介します。
楠木正成公は、鎌倉時代末期に千早赤坂(現大阪府南河内郡)に生まれました。その後、1331年に後醍醐天皇に召し出されました。
そして赤坂で挙兵したのち、千早城に立てこもりました。そこで鎌倉幕府の大軍を引き付けたのです。それに呼応して、各地で挙兵されました。そして後醍醐天皇が政権を取り、建武の親政が始まりました。
しかし、足利尊氏が反旗を翻して挙兵し、湊川の戦いが起こりました。そこで劣勢となった楠木正成は降伏せず、自刃したのです。
この楠木正成公を江戸時代、水戸光圀公は忠臣、臣民の鑑とたたえました。水戸光圀公は水戸黄門と知られる傑物です。彼は1652年に183両を投じ、墓碑を建立しました
墓碑の表には光圀公の自筆で「嗚呼忠臣楠子之墓」と刻まれ、碑自体は、中国の神獣、龍の9番目の子である「贔屓」の背中に乗っている伝統的は儒学のスタイルをとって、光圀公は楠公墓碑を建立したのです。
吉田松陰や坂本龍馬、西郷隆盛、高杉晋作など勤皇の志士はもちろん、新選組など佐幕派の人々も、みなこの墓前にぬかづいて至誠を誓い、国事に奔走したといいます。
そして明治維新後の1872年に、明治天皇が楠木正成を祀る神社の創建を命じ、湊川神社が創建されました。
宝物館の中には、重要文化財である楠木正成公直筆の経文「紙本墨書法華経奥書」が所蔵されています。
こちらは楠木正成公が着用された鎧「段威(だんおろし)腹巻」。こちらも国の重要文化財です。
また、実は西日本一とされる能舞台が、湊川神社に存在しています。観阿弥は実は楠木正成公の甥御にあたるというご縁もあり、渋谷・松濤にあった観世能家(観阿弥・世阿弥の子孫)のものを昭和47年に移築。
今でも現役で西日本屈指の名舞台として使われています(能楽堂は普段は一般公開されておらず、公演時のみ入場できます)。
能舞台の傍らにある神棚には観阿弥・世阿弥を祀っています。
安産祈願やお宮参り、七五三、厄除など神戸市中からご祈祷に訪れるほか、夏祭りなどで地元の方が集う場でもあると同時に、楠公が生きた鎌倉時代だけでなく、幕末歴史ファンも訪れたり、また、今の国を思う愛国者が集ったりと、実に様々な幅広い人々から崇敬を集めている湊川神社。
七五三などでは親しみ深い様相ですが、実は鎌倉末期から、現代日本まで連綿とつながる歴史を感じさせてくれる“格別な”神社だと感じました。
私事ですが主人の曽祖父が国学の研究者だったこともあり、大楠公さまのすばらしさを存じており、その一端に触れることができたことを喜ばしく思います。
場所
湊川神社
(神戸市中央区多聞通3-1-1)
祈祷受付時間
9:00〜16:30
問い合わせ
湊川神社社務所
078-371-0001