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【文明論】第7回「蒼きウル」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

にいがた経済新聞

山賀博之 (絵・岸田國昭)

つまるところ、文明とは物語である。我々にとって実用的な食糧生産技術や医療、交通や通信などの科学技術も人類が何千年と変わらず持ち続けてきた欲望のストーリーの現時点であり、どれも結局は不老長寿や錬金術の物語に還元できる。

「このようにありたい!」と願う脳内の夢想を追い求める人間 VS 「そうはならぬぞ!」と立ちはだかる冷徹で険しい自然。文明と呼ばれるものの正体は、この二者の織り成す物語だ。

人間は、かつて自然と同一のものであったが、脳に発生した夢想の一つを知性と呼ぶようになり、それを己の身体から切り離すと、古巣である自然に対峙させて外に置いた。

長い脳の発達史で見れば、知性は複雑化するプログラムに涌いたバグのようなものだろう。しかし、その自作自演の果敢な独り相撲が、愛おしい。美しい。と人間の脳はアホらしくも思うのだ。

美という神経発火は自然が起こす不思議だとしても、そこから広がってゆく意識の波紋は目で追える現象である。

信仰心の篤かった戦国武将、上杉謙信は、「我が百度、毘沙門天を拝めば、毘沙門天も我を五十度か三十度は拝むであろう」と、自分(人間)と神(自然)による相互依存の関係を信じていたらしい。

こうしたリスペクトの反射は、対象を上位に置く宗教では珍しいことであっても、それが対等にある美意識の場合は民族や時代を越えて広く見られる。

簡単に言えば、「あの空を美しいと感じている私はあの空のように美しい」と、理屈抜きに自己を肯定する現象だ。空は人間と無関係に自然界に存在しているのに、その空をリスペクトする心は人間の身体内(自然)に在るため、外に設置された知性(人間)と本来の身体が作用し、対象との間で反射するかのように見えるのだ。

恋愛をはじめ、スポーツ選手やアイドルなどへの信奉の多くはこの類だろう。ファン活動ばかりではない。敵対関係もまた同様の相互依存が見られる。前者との違いは、そのとき自分の欲望が対象に受容されていると感じるか、反発されていると感じるかだけだ。

知性から見れば、対象を肯定することで自身が肯定される仕掛けは実にアホらしい。しかし、文明という終わりの無い独り相撲から人類が得られる幸福があるとすれば、それはこのリスペクトの反射が起こす作用しかない。その効力は生・老・病・死という自然に打ちのめされた人間の心を奮い立たせるのに充分な力ではないだろうか。

文明がその仕掛けを最も良く機能させている施設は、街の中に建てられた劇場だと思う。政治や宗教、教育、医療などを行う実用的な建物と違って、劇場は日常生活に必須なものとは言えない。でありながら街がこれを古くから求めたのは、文明という大きな物語を噛み砕いて、一般大衆に呑み込みやすくする役目を芸能が担ってきたからだ。

演し物は悲劇や恐怖、否定、批判をも含んで多種多様であり、その目新しさ、もの珍しさが人を寄せ集める理由であるが、観客となった人々がそこで得られる夢想は、社会がその構成員一人一人に与えてくれる文明の欠片、つまりは人間 VS 自然の戦いだ。

もちろん、そこで対峙する相手となる自然は、海や空や山河ばかりとは限らない。自分のであれ他人のであれ身体、脳の内、つまりは愛憎。さらには老いや病は天然自然そのものだし、頭脳の集合体である国家や社会はジャングルのごとき自然環境であり、そこから生み出された戦争や資本主義などの怪物たちも強大な敵となり得る。

人々が横並びに座ってこの戦いを眼前にしたときに得られる感情は、多層で複雑だが、その内の欠くべからざる一つに「誇り」という言葉をあてたい。これこそが元の大きな物語に直につながる、リスペクトの反射の終着点ではないだろうか。

「誇り」は文明人にとって常習性のある快感であり、これを求める欲こそ、地上の野蛮を消滅させる意思の源だと思う。人々が劇場へ集うのは、ただ目新しさやもの珍しさを求めるばかりではなく、その先に得られる「誇り」という快感を期待してのことだと私は考えている。

視野を文明の働き全体へ戻してみても、人間と自然の間で起こるリスペクトの反射は、繰り返される入れ子模様で広がっていて、その始点と終点を結んで簡潔に現せば、「美しさを思うことによって誇りを得る」という構造となっている。

正(+)のイメージを持つ「誇り」は存在の必然として、対の端に負(−)のイメージ、「恨み」(べつに「みじめ」でも構わないが)を起こす。どうやら多くの人々は、この軸を心柱としてあやふやな現実(とした夢想)を固定し、自分用に構築した世界で暮らしているようだ。

この場合、他人との世界の共有は、何れかの階層で同じ対象をリスペクトすることによって成されるが、「誇り」と「恨み」の軸でつながる集団を思うと、やはりあの忌まわしいプロパガンダが浮かんでくる。

喜劇王チャップリンが自作の映画『独裁者』について語ったのは、すべての映画はプロパガンダであるとして、その中に人類愛を伝えるプロパガンダが存在するという主張だ。劇中で彼はヒトラーの演説を真似ながら自由や民主主義の理想を説く。だが、仇敵だった独裁者が排除された7年後、彼もまたその理想のために国を追われた。

両者とも一筋縄ではいかない主義や国家という自然に、ひるまず立ち向かった「誇り」の物語として見ることができるが、文明の司る歴史は二つの物語を決して等価には扱わない。

原初に文明をスタートさせた夢想(知性)には野蛮を遠ざけたいという大命題があり、そこから、何者の美意識にも神性にも依らない、文明自体が持つ善悪が育まれている。いわば文明の良心だ。

この温かな希望を含んだ砂糖水を売るのが私の商売だが、人々が求める人気のフレーバーは案外と苦かったり辛かったりする。最初にこの仕事に就いたときは正直それに戸惑った。戦争や事故、病気、殺人、好まれる題材はそのどれかが登場人物を苦しめる。夢ならばまったくの悪夢と思える物語だ。

そして悟った。知性を持った人類が戦う最大の敵は死である。正しく芸能が文明の欠片だとするならば、必然として社会はそこに死の物語を求める。のだと。

芸能の源流をさかのぼれば、それを人々に提供する施設は劇場ではなくグラディエーターたちが血を流した闘技場、いや、さらに行けば刑場、生贄を捧げた祭壇が見えてくる。

近代以降の観客は舞台に生き血など要求しないが、口にせずとも多くは、リアルな人の命が壇上に捧げられることを期待している。その生贄の対象者はプロットによって傷つけられた架空の人物だけでなく、演者や裏方の職人にまでおよぶ。

老若男女の善良な観客たちは、笑顔に無邪気な残酷さを隠しながら、「戦え!」と一言、グラディエーターを闘技場へと引きずり出すのだ。
「恨み」と「誇り」が作る軸。文明の良心。血を流す生贄。ここから私は一つの騎士物語を思いついた。歴史的なノスタルジーなどではない。今、この目の前にある現代という大自然と戦う騎士の話だ。タイトルは『蒼きウル』。設えた祭壇は劇場用のアニメ映画である。

捧げられる命はリアルでなくてはならない。現実が人によって違うのは当然として、一人の脳内でも巧妙に使い分けられている。そこに関与するのにアニメ映画は最も適した手法と考える。絵に描かれて命を吹き込まれた人物は他の人生を持たない。純粋に嘘であることは嘘の舞台で純粋に本物となる。(これを「ペーパームーン効果」と呼んでいる。その説明は後の単元で)

リアルなのは人物だけではない。街も国も歴史も、精巧なドールハウスのように作り込む。嘘を積み上げ本物の嘘世界を創るために。ただし、その世界は観客の住む世界と概念としての文明を共有していなければならない。それが純粋な嘘を本物へと引っくり返す蝶番となるからだ。

主人公(男にした)は無頼の流れ者。で、ありながらその由緒正しい身分は文明の良心を体現している。決闘の専門家である男が仕事で街にやってくるところから話が始まる。彼の良心がちゃんと現代と戦えるよう、この世界の騎士には馬の代わりにジェット戦闘機、槍の代わりに重機関銃を与えた。

機械の発明より何百年も昔に確立されたシキタリで男は決闘を行う。それが現代に生まれた騎士としての彼の仕事である。

敵を現代という言葉で表したが、ここに劇中の世界と観客の住む世界が共有する文明を置く。最初の単元からこれまで語ってきた現代社会を支える柱、ヨーロッパ発祥のあの文明だ。これまで切り口として挙げてきた「ゴシック」、「古典主義」、「バロック」の三様式は混在して作用し、現代の騎士である彼の人格を形成する。

文明の現時点、死という自然に対して人間の知性は何か戦果を上げることが出来ただろうか? 暗黒時代と呼ばれた中世を抜けて近代から現代へ、時代と共に日常から死が隠されるようになっても、ニュースを見れば疫病と戦争と飢餓は相変わらずのロングラン大ヒット中だ。

現代と騎士のちぐはぐさは、そのまま日常と死のちぐはぐさであり、ヨーロッパ文明と土着の暮らしのちぐはぐさでもある。明瞭な答えを求めても何かしっくりしないまま生きてきた観客自身の姿が、寄る辺ない孤独な主人公と共有されて虚構の世界が本物の現実となる。

劇中で行われる決闘は、ただ日常を維持し食い扶持を稼ぐだけの商売だ。騎士の仕事に感情や好き嫌いは無い。他人の争いや恨みを背負い代理人として戦って片を付ける。

「承知した、すべてを終わらせてやる」

それが決闘を請け負うときに男が発する決め台詞だ。だが、何を終わらせるというのか。彼自身、何も始まっていないし何も終わらせることの出来ない普通の人間だ。

12世紀末に南仏アキテーヌの宮廷で花開いたロマンス(騎士物語)は、囚われの姫が放浪の騎士を死地へ向かわせる。たとえ伝説の… だろうが、勇猛な… だろうが騎士に恋はアキレスの踵。手を取ってキスをする相手は死神だ。

無頼を気取った主人公に憑く死神は大都会のタワーに閉じ込められた姫。(もちろんこれは比喩である)彼女もまた現代を生きる人間として、終わらせられない物語に囚われている。

そして、ここで思い出されるのが安達ケ原の鬼婆なのだ。姫ではないが元は公家の乳母という設定に、みちのくの暗がりでかろうじて漂う都の香り、その捨てられぬプライドのようなものが匂ってくる。彼女は自分が育てる姫の病を治すため、妊婦の生胆を求めてこの地へ来た。すでにその目的は失われ、棲家にしている岩屋へ旅人を誘い込んでは喰っている。といった話だ。寒々とした安達ケ原にぽつんとある岩屋は彼女の意固地な心の比喩表現に見える。

この鬼婆とは、中央で敗者となった人間が、それでも何とか一端の都人であり続けようと、終わらない旅に出た姿ではないだろうか。旅というのもまた比喩で、その岩屋があるのは遠いみちのくではなく、都の片隅にひっそりと建っているのだと思う。

本作の姫とこの鬼婆は同じ軸を持っている。彼女らを閉じ込めているのは終わらない自己承認の欲望である。こじらせた「恨み」を「誇り」へと向かわせるのは、この件に解脱できた人間の美しさ。そのリスペクトの反射しかない。しかし、同じ時代の欲望の中でもがいている男が、果してその解脱者となれるのか? 姫がそれを期待するとき、騎士は死地に立つ。

文明という終わらない物語の中で、どのようにも本物にはなれない、どこか嘘臭く生きて、そのまま死ぬしかない我々現代人に成り代わって、本物の騎士になる人物。その瞬間を描くストーリー。夢のように華やかな近未来都市… 実は蜃気楼のごとき砂上の楼閣。砂漠。海。清んだ絵で描かれるからこそ浮かび上がる命。血液。息遣いを感じさせる芝居。スピード。静止する一瞬。今ここに広がる現実を不純物なくミキサーにかけたような世界。『蒼きウル』という芸能に文明論は帰結する。

私は哲学やさまざまな分析論自体にはあまり関心がない。それらは人々の生活から見れば、遠い領域で行われている基礎研究のようなものだと考えている。どんなに優れた論考であったとしても、それらを実用の書として、人々の幸福に役立てようとするのは間違った学術の使い方である。芸能だって人々の一時の気晴らしからのみ発生するものではない。学術も芸能も文明という物語の一部。ほんの少し前まで同じものだったはずだ。

山賀博之 (絵・岸田國昭)

1962年新潟市生まれ。大阪芸術大学芸術学部を中退し、アニメーション制作の株式会社ガイナックスを設立。同社の代表作である『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(監督・脚本)や『新世紀エヴァンゲリオン』(プロデューサー)をはじめ、『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(サンライズ 脚本)、『ピアノの森』第2シリーズ(ガイナ 監督)など多くのアニメ作品に関わる。

現在、還暦。フリーライター。新作「蒼きウル」を鋭意制作中。自称「世界奢ってもらう選手権第一位」「大馬鹿者が好き」。

【過去の連載】

【文明論】第1回「駅裏」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

【文明論】第2回「みちのく」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

【文明論】第3回「古典」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

【文明論】第4回「勝ち負け」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

【文明論】第5回「バロック」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

【文明論】第6回「和魂洋才」 山賀博之(株式会社ガイナックス元代表取締役社長)

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