「高野山で一時途絶えた行事が今も続く」天野山金剛寺800年の正御影供【河内長野市】
大阪府河内長野市では4月17日・18日の2日間、普段見ることのできない国宝の仏像が特別に拝観できます。
ひとつは観心寺の本尊・如意輪観音坐像、もうひとつは天野山金剛寺の本尊を含む金堂三尊像です。
さらに天野山金剛寺では、5月3日から5日までの3日間、国宝・日月四季山水図屏風の特別公開が行われます。
4月21日、ふたつの特別公開の間に行われるのが、正御影供(しょうみえく)大法要と呼ばれる重要行事です。
正御影供とは?
仏教の世界では毎月「縁日」と呼ばれるものがあります。一般的に、縁日というと、神社仏閣の境内に屋台が並んで賑やかなお祭りの雰囲気を想像するかもしれません。
しかし、本来縁日とは神様や仏様と「縁(ゆかり)」がある特定の日です。
縁のある日だから「縁日」で、その日にみんなが参拝するから屋台が出てくるということ。例を言えば観音菩薩の縁日が18日で、不動明王の縁日が28日と定められています。
そして、毎月「21日」は弘法大師こと空海の縁日です。
835(承和2)年3月21日に空海が入定(にゅうじょう:一般的な死ではなく、深い瞑想に入り、そのまま永遠に修行を続ける状態)した日として、3月21日は特に重視されます。
毎年その時に行われるのが正御影供(しょうみえく)と呼ばれる重要行事です。
これは空海(弘法大師)に対して行う供養ということで、信仰的には死んだ命日に対する供養ではなく、現在進行形で存在する師への礼拝というニュアンスがあります。
ちなみに高野山では3月21日の正御影供に加え、旧暦3月21日にあたる日に「旧正御影供」も行われます。
一方、天野山金剛寺では毎年4月21日に正御影供大法要が営まれます。
両者は同じ弘法大師信仰に根ざした法会ですが、日程や伝えられ方には違いがあります。
高野山で途絶えた百味飲食の伝統が天野山金剛寺に残った
真言宗にとって最重要と言える行事「正御影供」。ところが総本山の高野山で一時期途切れたことがあります。
それは百味飲食(ひゃくみおんじき)と呼ばれる行事でした。
しかし天野山金剛寺では、平安時代後期から続くとされるその伝統が、今も受け継がれています。
「高野山の関係者が天野山金剛寺の百味飲食を参考にして復活させたんです」と天野山金剛寺の堀智真(ほりちしん)座主。
阿観上人が始めて以来、800年以上途絶えることなく続いている行事なのだそうです。
まるで、バックアップのように続いていた貴重な伝統が、大阪南東の山奥、河内長野の地で残されていたわけです。
開催数日前に行われる清掃
天野山金剛寺では、4月21日の正御影供大法要が始まる数日前に、地域の人や希望者が寺内の清掃をします。
本尊・金堂三尊像が公開される17日よりも前に行われるので、そのための清掃という意味合いもあります。
重要文化財の金堂とその中に鎮座する国宝の仏像の前で行う清掃作業です。
終了後には地元名店によるおそばの振る舞いが行われ、年に1度の大法要に供えます。
百味飲食を作る現場を取材
画像は高野山でも一時途切れていたという百味飲食です。
これは仏教において美味な飲食物を意味していて、最高級のお供え物です。空海へ感謝と敬意を表して、多くの供物を用意するのです。
実は昨年、百味飲食を作っている現場を取材しました。
場所は天野山金剛寺境内にある普段非公開の建物内で、地元の方により行われている作業です。
食紅で色付けされた餅を三角にカットして、決められた形に並べていきます。
大変そうだと思っていましたが、これでも楽になったそうで、かつては包丁でカットしていたので、サイズを合わせながらきれいに切るのが大変だったといいます。
しかし、今は専用のカットできる道具を開発して行っているとのこと。
すでに出来上がっているお供え物です。数日かけて作られ当日を待ちます。
2026(令和8)年4月21日に行われた正御影供大法要本番の様子
当日12時から法要が始まります。
ほら貝を持つ修験者を先頭に僧列が続き、散華(さんげ)と呼ばれる色紙を撒きながら、仏法を称え、仏を供養していきます。
赤い傘の下で、ひとりだけ色の違う僧衣をまとっているのが、堀座主です。
金堂の前で僧列を見守りながら御詠歌を歌う方々です。
そして最初は稚児さんも一緒に僧列に加わり、一足早く金堂に入りました。
純粋無垢な稚児さんは「仏の使い」とされ、空海を供養し災厄を払う役割を担う一方で、子どもの健康や健やかな成長を空海に祈るという意味合いもあります。
金堂内で稚児さんは自由に動き回っていました。
金堂の上で黒い装束姿の方々がいますが、この人たちは金堂前に備えられている百味飲食を御影堂(みえどう)に運ぶ人たちです。
僧の方々は金堂内に入ります。
僧列を先導した修験者の方々は金堂の下で待機します。
いよいよ黒装束の方々の役目が始まります。
百味飲食をひとつずつ運んでいきます。
大切なものということで手渡しで順番に運んでいきます。
かつてはもっと多くの人で行っていたという手渡し。
正式には奠供(てんぐ)といいます。
お話を伺ったところ、21日という日付が固定しているため、平日であることが多いことから、参加できる人が限られてしまうとのこと。
そのため、次の人に手渡すために少し距離を歩く必要があるそうです。
百味飲食にはバナナなど身近なものも含まれています。
全ての百味飲食が御影堂に運ばれた後、僧列が御影堂に向かいます。
御影堂とは空海の肖像や木像を安置する重要な場所です。天野山金剛寺の伽藍が並ぶ中でもひときわ高い奥にあります。
ちなみに画像から見える回廊の上の建物は観月亭で、御影堂は隣接した奥にあり、この位置からは見えません。
国の重要文化財天野山金剛寺の御影堂と観月亭の説明です。
それによると阿観僧正(上人)が、高野山から迎えたという真如親王(しんにょしんのう:52代平城天皇の第三皇子)の真筆とされる空海のお姿(御影)を祀るお堂で、1179(治承2)年に建立されたとのこと。
ちなみに真如親王(799-865?)と空海(774-835)は、ほぼ同時代です。
御影堂では百味飲食が供えられた中、僧による儀式が行われます。
800年の伝統は今年も無事に終わった
御影堂での行事が無事に終わり僧列は伽藍を出ていきます。今年も大法要が無事に終わりました。
その後、16時から恒例の餅撒きが行われました。800年続く河内長野市天野山金剛寺の伝統行事、地域の人たちの手によってこれからも伝統が守り続けられていくことでしょう。
天野山金剛寺
住所:大阪府河内長野市天野町996
アクセス:南海・近鉄河内長野駅からバス 天野山バス停下車徒歩1分
参考文献:
御影供映像記録制作実行委員会 編『2011年天野山金剛寺正御影供百味飲食奠供調査報告書』
京都国立博物館 編『特別展河内長野の霊地 観心寺と金剛寺』
河内長野市ふるさと歴史学習館内展示資料
現地の説明板
文 / 奥河内から情報発信 校正 / 草の実堂編集部