『遺骨が仏になる』大阪・一心寺の「お骨仏」とは?約5万体分の遺骨から始まった信仰
大阪・天王寺の四天王寺から谷町筋を挟んで西側へ歩くと、ひときわ印象的な山門を構える浄土宗の寺院・一心寺(いっしんじ)があります。
一心寺は「お骨仏の寺」として知られ、関西では古くから多くの参拝者を集めてきました。
お骨仏とは、納められた遺骨を粉末にし、阿弥陀如来像として造立したものです。
亡き人の遺骨が仏の姿になるという、一見すると驚くような信仰ですが、一心寺では明治20年(1887)以来、このお骨仏を10年ごとに造立し、供養を続けてきました。
今回は実際に一心寺を参拝し、その歴史とお骨仏の信仰について紹介します。
一心寺の歴史
一心寺は、文治元年(1185)に浄土宗の開祖・法然上人がこの地に草庵を結び、「日想観」を修めたのが始まりとされる寺院です。
当時の一帯は、遠く西に海を望むことができ、夕陽の沈む景色から西方極楽浄土を思い描く、日想観の聖地とされていました。後白河法皇も四天王寺参拝の際にこの地を訪れ、法然上人とともに日想観を修したと伝えられています。
その後、一心寺は江戸時代の一時期に衰退しましたが、江戸末期に年中無休の施餓鬼法要を始めたことで「おせがきの寺」として再び多くの参拝者を集めるようになりました。
さらに1887年(明治20年)に最初のお骨仏が造立されてからは「お骨仏の寺」として広く知られるようになります。
しかし、太平洋戦争末期の1945年3月の大阪大空襲により、境内の多くと、それまで安置されていた6体のお骨仏を焼失しました。
現在の伽藍や施設は、その後、戦後から平成期にかけて順次再建・新造されたものです。
お骨仏とは?
江戸時代から明治にかけて、一心寺のある大阪は商業の町として大いに発展し、地方から出てきた多くの人々が丁稚奉公などで働いていました。
そうした人々の中には、故郷の先祖の墓から分骨し、大阪の地で先祖供養をしたいと願う者も多く、一心寺には次第に多くの遺骨が納められるようになります。
やがて納骨堂は限界を迎え、嘉永4年(1851)から明治20年(1887)までに納められた約5万体分の遺骨を粉末にし、セメントと混ぜて阿弥陀如来像を造立しました。
これが一心寺の「お骨仏」の始まりです。
阿弥陀如来坐像の大きさは人間とほぼ同じで、古い時代のお骨仏は煤けた色合いをしていますが、新しいお骨仏は白色から薄い灰色をしています。
お骨仏は、もともと遺骨の一部である分骨をもとに造立する慣習でした。
しかし時代の変化とともに、胴骨(全骨)や改葬納骨も受け入れるようになり、近年はお骨の総量が急増していました。
そのため一心寺では、2021年1月1日以降、納骨の受け入れを直径9cm以下、高さ11cm以下の小骨壺のみ、1霊につき1壺までに制限しています。
現在は胴骨・全骨の納骨や、墓じまいなどに伴う改葬納骨は受け入れられていません。
現在の一心寺に行ってみた
お骨仏を拝観するため、実際に一心寺を訪れました。
まず目を引くのは、鉄とコンクリートで造られた現代的な山門です。両脇には現代彫刻の仁王像が立ち、一般的な寺院の山門とはかなり異なる印象を受けます。
いくつもの寺院を拝観してきた筆者にとっても、これほど現代アートのような山門は初めてでした。
山門をくぐって境内に入ると斜め左に本堂が見え、そのさらに左手にはお骨仏が安置されている納骨堂があります。
線香の煙が立ちこめる中、多くの参拝者が静かに手を合わせていました。
また、右手前には屋根の上に金色の相輪を載せた念仏堂(納骨受付)があり、その前には観音菩薩像が立っています。
現在の一心寺は、本堂が1966年(昭和41年)、日想殿が1977年(昭和52年)、仁王門が1997年(平成9年)、三千佛堂が2002年(平成14年)に落慶しており、戦後から平成期にかけて整えられた現代的な寺院空間といえます。
古建築を静かに鑑賞する寺院というより、今も多くの人々が先祖供養や納骨供養のために訪れる、活気ある祈りの場という印象でした。
お彼岸やお盆には、境内が人であふれ返るほどだといいます。
境内の東側にある独特な雰囲気の三千佛堂
一心寺の境内はそれほど広くないため、講堂に当たる三千佛堂は、すぐ近くの境外に建てられています。
堂内に入ると、円形の廻廊に沿うように大きな壁面が設けられ、そこに多くの仏像と、それを守護する十二神将像が祀られています。
仏像は寄付により順次造立されており、最終的には千体が祀られる予定だそうです。
また、壁面に沿って右回りに廻廊を三回巡拝することで、現在・過去・未来の三世の諸仏に懺悔減罪を祈念できるとされ、そこから三千佛堂と名付けられたといいます。
さらに壁面の入口から堂内に入ると、シアターのような空間が広がり、正面には雪山と呼ばれるヒマラヤの山並みを背景にした、巨大な阿弥陀三尊像が描かれています。
柔らかな照明に照らされた堂内は美しく、厳かな雰囲気を漂わせていました。
三千佛堂は一心寺の講堂に当たり、説法だけでなく仏前結婚式や社会活動の場としても使われています。
この三千佛堂の内部も、現代アートを思わせるような印象的な空間でした。
お骨仏というものを、訪れる前はなかなか具体的に想像できませんでした。
しかし実際に拝観してみると、納められた遺骨を材料としているにもかかわらず、その姿はまさに阿弥陀如来坐像そのものでした。
亡くなった親族と同じ時期に造立されたお骨仏に手を合わせることができるというのは、合祀でありながら、故人とのつながりを感じられる供養の形でもあります。
一部宗派を除き、宗派を問わず納骨を受け付けてきたことも、一心寺が多くの人々に親しまれてきた理由なのだと思います。
大阪・天王寺を訪れた際は、四天王寺とあわせて、ぜひ一心寺にも足を運んでみてください。
一心寺
住所:大阪府大阪市天王寺区逢阪2-8-69
受付時間:午前9時〜午後4時
公式サイト:https://www.isshinji.or.jp/
アクセス:JR・大阪メトロ「天王寺駅」から徒歩約15分、大阪メトロ谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩約15分、大阪メトロ堺筋線「恵美須町駅」から徒歩約10分
※駐車場はありません。公共交通機関の利用が推奨されています。
参考 : 一心寺公式サイト、法然上人二十五霊場「第7番 坂松山高岳院 一心寺」、大阪市教育委員会「骨仏の信仰習俗」他
文:撮影/草の実堂編集部