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単純な話ではない ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第5話)伴走型支援で寄り添う留学生ボランティア

Sitakke

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→前回【第4話】最期は誰が看取る? ホームレス/ハウスレス~札幌発・生活困窮者の今と支援(第4話)ホームレスを支援する元ホームレス・その2

対応能力の高さに魅かれて…

「労福会」事務局長・北大留学生 阿木爾(アムエル)さん(23歳)

「路上生活を脱するには、金銭的な支援や就労支援をしたら、すぐにできるかというと、そうではないんです」

よどみない日本語で、明るく、丁寧に話す阿木爾(アムエル)さん(23歳)は、中国内モンゴル自治区出身の留学生です。

任意のボランティア団体「北海道の労働と福祉を考える会(通称・労福会)(*注1)」のメンバーとして、おととし10月から路上生活者ら生活困窮者の支援に携わり、この1年、会の事務局長として活動を束ねて来ました。

きっかけは、大学のサークルの先輩から「ホームレスの人たちへの支援で、今度、炊き出しがあるんだけど、手伝ってくれないか?」という誘いでした。

労福会の炊き出しで配布された衣類(札幌市・去年11月)

初めて参加した炊き出しで、アムエルさんが印象に残ったのは、食事や衣類などを求めて来場した生活困窮者の様子よりも、労福会のメンバーが困窮者のトラブルに対応した問題解決の能力の高さでした。

その日、100人近くの来場者があった会場で、こんなことがあったそうです。衣類を配布するに当たってその順番を決める抽選くじで、順番が来た人を呼ぶ際、うまく伝わらず、そのことがきっかけで、「早くしろ!」「今呼ばれたのは誰だ?」などと怒号が飛び交い、会場が殺気立ちました。アムエルさんはその順番を伝える係をまさに担当していて、縮み上がるような思いをしていたところ、会のメンバーが、声を荒げる来場者の元に飛んで行き、なだめ、話を聞き、不手際があったことなど問題点を即座に整理して、再び衣類の配布を始めました。

「すごかったんです、その雰囲気は…。でも、メンバーのみなさんが理路整然と対応して、問題を解決したんです」

「トラブルの時に問題を解決する力が、すごいと思ったんです」

「これは後から知ったのですが、一朝一夕でできることではなく、対応したメンバーは声を荒げた人たちをよく知っていて、話ができる関係にあったから、そういう対応ができたんです」

この出来事をきっかけにアムエルさんは、毎週土曜日の夜回り(*注2)に通うようになり、自分の対人関係の能力を高めたいと思うようになりました。

(右)アムエルさん (左)父(フフホト市・2014年)

アムエルさんは、中国内モンゴル自治区の省都・フフホト市出身のモンゴル族です。「阿木爾」という中国名は当て字で、モンゴル族の言葉で「穏やかな」という意味を込めて、ひいおじいちゃんが「アムエル」と名付けてくれました。

日本との関わりは、物心がついたばかりの6歳の時でした。母親が出稼ぎのため日本へ渡ったのです。その時はまだ日本がどこにあるのか、どんな国なのかもまったく知らず、母親が日本へ行ったことを知ったのも、しばらく経ってからのことでした。その時、家族の間でこんなことがあったそうです。

(イメージ)

母親は出稼ぎに出る前の日、アムエルさんの好物のパイナップルを切って、こう言いました。

「たくさん食べなさい」

アムエルさんには、母親が出稼ぎに行くことはまったく知らされていませんでした。

「僕はただ、毎日少しずつ、パイナップル食べることに夢中だったんです」

「そうしているうちに1週間ぐらい経って、ママはどこかに行ったのかなと思いながらも帰って来なかったので、パパに聞いたんです、『ママは?』と。そうしたら『日本に行ったんだよ』と…」

寂しい思い出から始まった日本との関わりでした。

その後、高校受験のために勉強漬けの毎日を過ごします。中学生時代は、朝6時30分からの「朝練」と呼ばれる体育の授業に始まって、午後7時の終業までびっしり科目授業が続きます。その後も補習授業を受けて、さらには帰宅後も大量の宿題をこなすため、夜12時ごろまで勉強を続けました。

(イメージ)

高校受験を翌年に控えた14歳の時、母親が出稼ぎに出て以来、初めて帰国しました。パイナップルを切ってもらったあの日から実に8年ぶりのことです。アムエルさんが受験に向けてさらにハードな日々を送るのをサポートするための一時帰国で、ご飯をつくり、洗濯をして、励まし、見守ってくれました。その成果があって、アムエルさんは地元の進学校に合格し、母親はまた日本へ出稼ぎに戻ってゆきました。しかしそうして迎えることになった高校生活でも、大学入試のためにそれまで以上の受験競争が待ち受けていました。

「そう考えたら、きついなと思ったんです。そして、ママがいる日本の高校はどうなんだろう?と。従兄(いとこ)が海外の高校に進学していたこともあって、正直なところ、また始まる受験競争から逃げ出したい思いもあって…」

高校の文化祭に模擬店を出した時の同級生とアムエルさん(中央・2018年)

アムエルさんは、留学生を受け入れている日本の高校をインターネットで探しました。同時に日本語をインターネットで得た情報で猛特訓し、上海で入試を受け、岡山県の高校に進学しました。

模擬店のトレードマークとして作られたアムエルさんの似顔絵

「高校時代は本当に楽しかったんです。最初、日本語を覚えるのは苦労したんですけど、クラスの17人は仲が良くて、文化祭には僕の名前の模擬店を出して、内モンゴル風の蒸しパンを一緒に売ったりして…あっという間に過ぎました」

その後、北海道大学工学部に進学して、来春からは同大学院で石油工学の専攻研究を続ける予定です。

(左)炊き出し用におにぎりを作るアムエルさん(札幌市・1月)

アムエルさんは、大学3年生の時から生活困窮者への支援を始めて1年4か月になります。

「支援をしたら、困窮者の方にはその“見返り”として『脱路上』をしてほしいと最初は思っていたんです。でも、その考え方は良くないことに気づいたんです。…って言うか、困窮者の実情がわかっていなかったことに気づいたんです」

「そんな単純な話ではないんです」

「例えば、夜回りでパンを配っている時、一人で何個も要求する人がいるんですけど、何度も会って、周りからの情報も得てわかったことは、その人はパンをほかの困窮者にあげていたんですね。その見返りとして、自分が困った時に何かをしてもらっていたんです。つまり、困窮者同士にネットワークがあって、パンはそのコミュニティの通貨として流通していたんです」

「生活保護を受給する手続きや就労のための手続きをお手伝いすることは、ノウハウとしてできるんですけれど、その前に、精神的なケアを必要とする方が、困窮者にはとても多いんです。お金を得たとしても、お酒を飲み過ぎたりギャンブルにつぎ込んだりして使い方を間違ってしまい、また路上に戻ってしまう人。知的な障害や身体に障害があって、社会の複雑なシステムをそもそも理解できない人。うつ病など精神疾患がありながら自分では気づかないまま孤立している人。・・・そうした人たちには、まず寄り添って現状を認め、何度も会うことで、時間を共にしながら話をすることが必要なんです。伴走型の支援ですよね」

アムエルさんは来月、事務局長の任期を終えますが、引き続き労福会の一メンバーとして、困窮者と関わってゆくつもりです。

(*注1)北海道の労働と福祉を考える会(通称・労福会): 1999年に北海道大学の学生と教員が母体となって発足した任意のボランティア団体で、路上生活者ら生活困窮者の把握と調査、支援を目的としています。会員は学生に加えて会社員や主婦、公務員、自営業者、福祉関係者、教育関係者ら一般人も加わって運営されています。毎週土曜日には「夜回り」と称して札幌市内を歩き、路上生活者らと対話しながら実態を把握し、食料や生活必需品等を配布するなどの支援を続けています。また月に1回のペースで「炊き出し」も行っています。運営資金は企業や団体、個人からの寄付と助成金、会員の会費などで賄われ、ボランティスタッフと寄付金を募集しています。(http://www.roufuku.org/)

◇文・写真 HBC油谷弘洋

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炊き出し用に作られたおにぎり(札幌市・1月)

路上生活者はこの十数年で減り、街角でも見かけることが少なくなりました。その一方で、車の中やインターネットカフェを転々としながら暮らす人が増え、生活困窮者の実態が見えにくくなっています。ハウスレスという言葉をご存知でしょうか?ホームレスとハウスレスの違いは何でしょうか?

生活困窮者がそうした暮らしを続ける理由は多様です。経済的な問題だけではなく、家族や職場とのトラブルから居場所をなくして孤立する人、障害や精神疾患があって社会への適応が難しい人、依存症になって治療を要しながらもその伝手を得ることができない人、一旦は生活保護の受給を得てもまた路上に戻る人など様々です。

冬には-10℃を下回る厳しい環境の札幌で、ホームレスの人、ハウスレスの人、彼らを支援する人…。この連載企画では、それぞれの暮らしと活動に向き合って、私たちのすぐそばで起きている貧困と格差の今を考えます。

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