知っていますか?千葉県で生まれた鎌 久留里鎌・房州鎌・佐原鎌【市原市】
農耕が始まると、草刈り・収穫・木の伐採などで「鎌」は人にとって欠かせない道具となりました。
江戸時代以降いろいろな鎌が各処で造られました。
千葉県が誇る3つの伝統的な鎌の話
千葉県独自の鎌は、「久留里鎌」「房州鎌」「佐原鎌」の3つが挙げられます。
まず「久留里鎌」は当時の久留里地方(今の君津市)で造られ、「草を刈ると鎌の上に泥がのらない」と江戸時代から評判でした。
考案者は江戸末期から明治期に活躍した太田平吉。
使い勝手の良い鎌を造る研究を重ね、「久留里鎌」と命名。
特徴は刃裏に溝がなく、嶺(刃の背)が厚く、刃先から嶺にかけ反り、刃元に段があること。
当時下総地方にいた開拓者は荒れた場所で使う、力の入った作業ができる鎌を求めたからです。
この鎌は今も使われています。
やがて明治中期になり、鴨川の曽呂で久留里鎌を基に、薄くて切れ味の良い「飛雀(トビスズメ)印」の鎌を考案したのが佐藤政治です。
刃裏に6羽の雀の刻印があり、通称「ロッパスズメ」と呼ばれ愛されました。
刃の嶺の裏をへこませるなどして補強、鎌は軽く刃も鋭利となり、刃持ちも良くなりました。
この地方は江戸時代から大規模な酪農が発達、牛の飼い葉を刈る仕事が重要となり歓迎されたのです。
全国でも名が知られ、「房州鎌」と呼ばれました。
最後に「佐原鎌」。
今ではこの鎌を知る人はあまりいないようです。
「久留里鎌」の太田平吉の弟子が現在の香取市に移住、そこへ佐原の根本吉之助が弟子入りし、佐原周辺の土地柄を考慮し造られたのが「佐原鎌」。
特徴として春先から刈り入れまでずっと使え、その上、研ぎやすいと、最盛期の明治42年に香取郡は県内一の鎌製造量を誇りました。
鍛冶職人の手仕事を展示などで伝える
明治初期ごろから刀鍛冶の仕事はほとんどなくなり、職人たちは代わりに鎌や鍬(くわ)などを造り生計を立てました。
今では刀鍛冶はもとより鎌もあまり見かけません。
「酪農・農業から他産業への移り変わり」「安価な大量生産の鎌の販売」「刈り払い機の発明」などが主な要因です。
しかし各地にはまだ「鎌」の記憶は残っています。
市原歴史博物館でも常設展で見ることができます。
子どもたちと一緒に訪れ、昔の生活を語り合うのも良いのでは。
取材協力/市原歴史博物館
電話番号/0436-41-9344
出典 『千葉の鍛冶―鎌と鋏』(千葉県立房総のむら 編集・発行)